家庭環境に制約があってもやりたいことに挑戦できる。そんな選択が当たり前に認められる社会へ/Spotlight


野倉 優紀 Yuki Nogura アダチベース
1991年生まれ。新潟県新発田市出身。筑波大学卒業後、外資系コンサルティング会社に2年半勤務し、大規模システム改修プロジェクトでの業務改善などに従事する。元々関心のあった教育の仕事に就くため、2018年にカタリバ入職。「自分の可能性を最大限発揮できる人を増やしたい」という思いで、アダチベースにて高校生プログラムの立ち上げや拠点長業務に従事。2024年4月よりアダチベース事業責任者。
度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。
すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。
シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。
外資系コンサルティング会社を経て、2018年にカタリバへ入職した野倉優紀(のぐら・ゆうき)。家庭の事情で放課後の居場所を求めている中高生を支援する「アダチベース」に立ち上げ期から携わり、2024年からは事業責任者として拠点の運営を牽引している。
食事の提供、学習支援、進路の伴走、そして体験活動――日々の関わりのなかで見つめてきた小さくてもたしかな変化。そんな一歩を見逃さずに子どもたちに寄り添いたいと言う野倉の想いを聞いた。
「半分塾、半分おうち」な居場所を通して
生き抜く力を育みたい

——野倉さんが2018年から携わっているアダチベースでは、どのような取り組みをされているのでしょうか?
アダチベースは経済的に困難を抱える家庭の中高生を対象に、週6日間開館している放課後の居場所で、地域の学校や行政と連携しながら運営しています。
私たちはこの場を「半分塾、半分おうち」と表現していて、学習支援や日々の食事提供などに加え、週1回程度の体験活動も実施しています。
学習面では少人数クラスでの授業や進学のための面接練習、志望校選びの相談などを行います。夕食はスタッフや地域のボランティアと一緒に手づくりすることも多く、食卓を囲む時間が日常の一部になっています。
文化体験では、浴衣を着て花火大会に出かける企画や、地域のバラ農園でのボランティア体験、さらにはアニメやゲームについて語り合う会もあるんですよ。
さまざまな背景を抱え、主体的に将来を選ぶことが難しい子どもたちが「生き抜く力」を育めるように――そんな思いで取り組んでいます。
——体験活動や食事の提供など、学習支援以外の取り組みにも力を入れているのはなぜですか?
子どもたちのなかには、「やりたいことがわからない」という状態の子が少なくありません。親御さんも塾や習い事に通うことが難しい経済環境のなかで育ち、学びの楽しさや可能性を実感できてこなかった、という家庭もあります。
そういう子たちがさまざまな体験を通して、刺激を受け、自分なりの発見や好奇心を得てもらえたらと思っています。
漫画やテレビの世界では、勉強嫌いの高校生が東大に受かるなどドラマチックでわかりやすい成功物語が多く描かれています。しかし、現実の世界では、そうしたわかりやすいドラマに出会うことはあまりありません。
私は、アダチベースで過ごすなかで、子どもたちがその子なりに成長していく姿を大切にしたいと思うんです。目立たない小さな変化かもしれませんが、そうした変化にこそしっかりと眼差しを注ぎたいと思っています。
——これまでに、そうした小さいながらも着実な変化を感じたことはありましたか?
ある女の子のエピソードが印象に残っています。彼女は中学生の頃からアダチベースに通っていて、学業の面で困難さを抱えており、地元の教育相談機関に通うなど、進学先に悩んでいました。特別支援学校や定時制高校に進むか全日制高校にチャレンジするか、アダチベースのスタッフと相談を重ねた末、全日制高校へ進みました。
高校に進学した彼女を、私たちは地元のお弁当屋さんを手伝うボランティア活動に誘いました。彼女はこの活動で、初めてレジでの接客に挑戦したのですが、「いらっしゃいませ!」と元気に声を出し、お客さんに積極的に話しかける姿が印象的でした。
ある日、売れ残りそうだった最後のお弁当を見て、彼女はお客さんに「よかったらどうですか?」と自分から声をかけました。すると、「じゃあ、これいただくわ」と買ってくださった方がいたのです。
このやり取りは、傍から見ればどうってことないのかもしれません。けれど彼女にとっては、“自分の声が誰かに届いた”という実感のある、初めての成功体験だったのです。
それがきっかけで接客という仕事に興味を持った彼女は、その後、コンビニのレジバイトに応募。採用されてから2年以上勤め、今も大学に通いながらその仕事を続けています。
——その経験が、彼女に何をもたらしたと思いますか?
「誰かに必要とされる」「やってよかったと思える」――そんな初めての体験が、その子の中に自己肯定感の種をまいたと感じています。
ケ(日常)があるからこそ、ハレ(特別な瞬間)に意味が生まれる。私にとっても、小さな変化をどう重ね、どう仕組みとして支え続けるかという“ベースを整える”視点が芽生えた出来事でした。
事業責任者になって見えてきたもの。
支援の仕組みを描く

——2024年4月からアダチベースの事業責任者になりました。その役割を通じて、どんなことを考えるようになりましたか?
2022年に拠点長になったのですが、当時はまだコロナ対策が継続的に必要で、思うように仕事を進めることができていませんでした。拠点の運営にしっかり力を入れられるようになったのは、状況が落ち着き始めた2023年頃からで、2024年からは事業責任者として、行政や地域との連携を深めたり、事業の中長期設計を描くなどしています。
以前は年度単位の運営が中心でしたが、今は2〜3年後を見据えた事業設計を考えるようになりました。目の前の対応に追われるだけでなく、拠点の運営全体を見渡しながら、「こうありたい未来」から逆算して今やるべきことを見出していく。その視点で事業を捉えるようになったのは、事業責任者になってからの大きな変化です。
他団体や行政との調整、制度改善の提案などにも関わるようになり、アダチベース全体を俯瞰して考える機会が増えています。扱うテーマも広く複雑になりましたが、「これがやりたかった」と思えるような取り組みに近づけている実感があり、やりがいを感じています。
——カタリバの見え方も変わってきたのではないでしょうか?
そうですね、以前はアダチベースの活動のみにフォーカスしがちでしたが、今は他の事業とのつながりや、組織全体としての広がりにも関心を持つようになりました。
たとえば、文京区のb-lab(ビーラボ)は誰でも使える中高生のオープンなユースセンターで、アダチベースのような登録制のターゲット型ユースセンターとは対照的な性格を持っています。これら2つの拠点は同じ事業ドメインに属していますが、それぞれが異なる役割を担っています。
また、カタリバでは「ユースセンター起業塾」という事業も展開しており、全国各地のユースセンターの立ち上げや運営を支援しています。自分の役割も、アダチベース単体からユースセンター構想全体の中でどう動いていくかを考えるようになってきました。
——複数拠点や全国展開まで視野が広がるなかで、責任者として感じている課題とは?
視野が広がる一方で、「どうやって持続的に組織を動かすか」「どこまで責任を持って取り組むか」といった問いとも向き合うようになりました。
民間企業なら、成果を出した者が報酬で報われる仕組みを整えることができます。しかし、NPOではそうした外発的な動機づけよりも、「自分たちでこの課題を解決したい」といった事業の意義への共感など、内発的モチベーションの設計がより重要になります。
そこで私が意識しているのは、チームで支援の「ゴール」を明確にし、共有することです。子どもたちがどうなったら事業がうまくいっていると言えるのか。その定義や達成への道筋や手法をみんなで言語化し、実践し、振り返って、また改善していく。
その繰り返しが、支援の質を高め、組織の力を底上げし、最終的にはより大きな社会の変化につながると考えています。
個人の頑張りが相乗効果となり
組織が支援を継続するために

——マネジメントにも関わりたいという思いは、カタリバに入った当初からあったのでしょうか?
現場の子どもと関わることはもちろんですが、それを支える仕組みやチームづくりへの関心も強くて、入職時からマネジメントにも関わりたいと伝えていました。
現場スタッフから拠点長、事業責任者とステップを重ねる中で、「次の担い手が継続的に育っていく状態をどうつくるか」という問いも持つようになりました。
個人の頑張りだけに頼らず、組織として支援が継続していくにはどうすればよいのか。それが、今の私にとって大切なテーマです。
現場に直接関わる時間は以前より減っていますが、そのぶん少し未来の事業体制を構想・準備することに時間を使っています。週6日運営する2つの拠点を支えるのは、職員15名、20名以上の学生インターン、そしてボランティアや業務委託パートナーの方々です。1日あたり6~10名体制で、それぞれが役割を担ってくれています。
こうした体制があるからこそ、私は“次”のことに取り組むことができますし、支え合うチームをつくっていくことが、今の私の役割だと感じています。
——アダチベースの、そしてカタリバのこれからを、どのように考えていますか?
たとえ経済的な事情など家庭環境に制約があっても、やりたいことに挑戦できる。そんな選択や努力が当たり前に認められる社会に近づけるように、これからも小さいけれど確実な一歩を積み重ねていきたいと思っています。
アダチベースに来る子どもたちに「この場所があるから、少し頑張ってみようと思えた」と感じてもらえるような、そんな希望の光のような存在でありたいですし、中高生たちの中に「チャレンジしてみたい」という意欲が広がるように新しい出会いを増やす工夫もしていきたい。
アダチベースという拠点が、そんな渦の中心になれるように育てていけたらと考えています。
——今後、アダチベースにどのような人に参加してほしいと思っていますか?
NPOの仕事は、明確な答えが出にくい課題に対して仮説を立て、仲間と対話しながら手探りで進んでいくことが多いと感じています。そういう意味で、やりがいだけでなく、深く考える力が問われる仕事だと思います。
仕事に熱意や愛情がある人ほど、NPOという場で本質的な力を発揮できると思いますし、そうした人たちと一緒に、信頼できるチームをつくっていきたい。目の前の子どもや仲間との関係の中で得られる実感や変化を大切にできる人に、ぜひ仲間になってほしいです。
NPOがもっと力をつけることができれば、今まで支援が届かなかった層にも手を差し伸べられるかもしれない。そんな社会のあり方を、私自身も少しずつ形にしていけたらと思っています。
※個人情報保護の観点から、事例は複数を混ぜた形で表記しています。
カタリバで働くことの醍醐味について、野倉は「心と頭、どちらも使い、対話をしながら仕事ができること」と語った。
話し方はとてもクールで論理的なのに、口から出てくる言葉はとても熱い。そんな彼が仲間とつくっていこうとしているこれからのアダチベースに期待と魅力を感じた。
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佐々木 正孝 ライター
秋田県出身。児童マンガ誌などでライターとして活動を開始し、学年誌で取材、マンガ原作を手がける。2012年に編集プロダクションのキッズファクトリーを設立。サステナビリティ経営やネイチャーポジティブ、リジェネラティブについて取材・執筆を続けている。
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