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「どんな絶望からもきっと何かが見つかる」東日本大震災を経て20歳を迎える新成人/ハタチの肖像#001

vol.118Interview

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category #インタビュー

writer 上村 彰子

どんな環境に生まれ育った10代も、意欲と創造性を育める未来を目指して2001年から活動するNPOカタリバ。関わった子どもたちの中には、すでに成人を迎え、社会に出て活躍している子たちがたくさんいる。ハタチを迎えようというその時に振り返ってみると、カタリバとの出会いはどんなものだったのだろうか。2022年から成人年齢は18歳に引き下げられることが決まっているが、あえて、ハタチとなるその時に、10代の間に受けた影響について聞いてみたい。

シリーズ「ハタチの肖像」は、卒業生たちが自分の過去=10代の頃と、今と、未来をつなげるインタビュー。

「早くここから逃げだしたい」
震災で居場所を失った子ども時代

いよいよやってくる2020年は、東京オリンピック・パラリンピックが開催される記念すべき年。そんな年の始まりに成人式を迎えるのは、『ミレニアム・ベビー』と呼ばれた2000年生まれの若者たちだ。その中には、2011年の東日本大震災発生以来、カタリバが関わってきた東北地方の被災地の子どもたちもいる。

東日本大震災という未曾有の大災害から9年。復興の道のりの中で被災地の子どもたちは、どのように成長し、成人となるのだろうか。震災の悲しみを、どのような強さに変え、『今』を生きているのだろうか。カタリバは、2011年12月より岩手県大槌町でコラボ・スクール大槌臨学舎を運営し、被災地の子どもたちに関わってきた。

岩手県大槌町は、津波と火災で大きな被害を受けた、三陸沿岸の町。全人口15,994人のうち死者・行方不明者は合わせて1,284人。建造物被害率は64.6%と、東日本大震災の被災地の中で3番目に高い。住まいだけでなく、町に5校ある小・中学校も被災した。町の多くの子どもたちの『日常』が失われてしまったのだ。

今回話を聞いたのは、大槌臨学舎出身のひとりの新成人、亜美さん。彼女は、震災発生当時小学5年生。津波によって自宅は流され、母親の実家に5か月間避難をした。

亜美さん:「避難先の小学校に通ったんですが、うまくなじめませんでした。被災地に仕事で残った父親とも、地元の友達ともまったく会えない寂しい毎日でした。当時はスマホなんて持っていないので、母親に頼んで友達のお母さんに携帯で電話してもらい、友達を呼び出してしゃべるのくらいしか楽しみがありませんでした」

大槌町に戻る目途も立たず、「この先どうしていいのかわからない」という絶望的な気持ちで過ごしていた。8月に、念願叶って地元に戻ることができたが、そこから2018年12月まで、7年以上の仮設住宅暮らしが始まった。

亜美さん:「大槌に戻れたのは嬉しかったけれど、仮設住宅には、4畳半の部屋がふたつだけ。思春期の身には、プライベート空間がないのは辛かったですね。自分の部屋が欲しい、といつも思っていました」

コラボ・スクール大槌臨学舎卒業生で新成人の亜美さん

そんな亜美さんは、イライラして、両親に八つ当たりして喧嘩ばかりしていた。「早く自分の力で働いてここから逃げ出したい」とばかり思っていた。ただでさえ不安定な思春期、10代のほとんどを、自分の思うようにならずに不便な仮設住宅で過ごした亜美さん。彼女に息抜きできる場所や、心の支えはあったのだろうか。

「ほっとできる場所」から
「やりたいことを探究する場所」に

亜美さん:「中学生になってから、放課後にコラボ(大槌臨学舎)に行くようになりました。きっかけは友達が行っていたからなんとなく。はじめは週2回の授業の日だけ行っていたのですが、家ではなかなか集中できず宿題もできないので、授業がない日も通って自習するようになりました。勉強目的で通っているうちに、いつからか友達やスタッフと一緒に勉強したり、思いを話せることが楽しくて行くようになりました。その時は気づいていなかったけれど、コラボとの出会いで自分は大きく変わったんだと思います。震災後、『やっと自分の居場所ができた』ように思えて、ほっと気持ちが落ち着いたことを覚えています。」

大槌臨学舎に通う当時の亜美さん(写真中央左)

亜美さんのように被災した子どもたちは、仮設住宅や仮設校舎などでの生活を余儀なくされ、日常の居場所も、落ち着いて勉強する場所も失っていた。そんな子どもたちを助けたいと考えたカタリバが現地調査を行ったところ、保護者たちからも、『子どもたちの放課後の居場所』を求める声が多く、この放課後学校である、コラボ・スクール大槌臨学舎設立に至った。現在も、町内の子どもたちの学習指導と心のケアを行っている。

亜美さん:「コラボで、同じく仮設住宅に暮らす友達とお互いの不満や悩みを思う存分語り合うことができて、『悩んでいるのは自分だけじゃない』とわかり、勇気づけられました。元々、人に自分から話しかけにいくタイプではなかったんですが、スタッフや様々な大学生・大人たちと関わる機会を得て、引っ込み思案だった性格もちょっとずつ変わったと思います」

中学卒業間近に行われる『やくそく旅行』というプログラムにも積極的に参加し、東京を訪れた。旅の目的は、これからの生活で大切にしたいことを見つけること。そこで、身の回りの課題や関心をテーマにしたプロジェクトを立ち上げ、アクションに取り組む高校生たちの『マイプロジェクトアワード全国大会』を見学した。主体的に行動し、自分のやりたいことや思いを語る先輩たちの姿を目の当たりにし、「高校生になったら、自分もマイプロジェクトに取り組んでみたい」と決意した。

高校生になった亜美さんは早速、大槌臨学舎でマイプロジェクトを進めていった。最初は何からやっていいかわからないという迷いもあったが、スタッフに日常的に声がけをしてもらい、自分の内面を掘り下げたり町の課題に目を向けたりすることで、徐々に方針を作っていくことができた。彼女のプロジェクトテーマは、『身近な人に、感謝や気持ちを伝えるきっかけづくりをする』ということ。名付けて、『Pleaseつたつた』。「自分が手仕事で作ったものを渡せば、思いを伝えるきっかけになるのでは」と考え、ものづくりワークショップを実施したり、手紙リレーという企画に取り組んだ。町内のショッピングモールに掛け合い、モール内の一角にイスとテーブルを設置。買い物客に声をかけてものづくりの機会を提供し、つくったものを渡すことをきっかけに「普段思いを伝えていない人に伝えよう」と呼びかける活動を行った。

ショッピングモールの一角を使って行ったマイプロジェクトの様子

亜美さん:「いざ自分もマイプロジェクトを始めよう、自分にとって大事なことは何かと考えた時に思い出したのは、震災の一時避難から故郷に戻ってきた経験です。子どもだった私にとって、5か月間地元を離れるという不安はとても大きかった。『大槌町に戻っても、友達に距離を置かれてしまうかな?』 と心配していました。けれども友達は自然に『おかえり!』と声をかけてくれ、私が戻ってきて嬉しいという思いを言葉で伝えてくれた。気持ちを伝えてもらうことで、すごく安心できたんです。そんな原体験がこのプロジェクトを動かすエネルギーになりました」

子ども時代引っ込み思案だった彼女は、友達関係の苦い経験もしている。喧嘩ばかりしていた同級生に、「本当は嫌いじゃない」という本音を伝えたかったが、彼は亡くなった。自分の気持ちを伝えられず仕舞で、後悔がある。

亜美さん:「私を含めて、自分の思いを伝えるのが苦手、意見を言えない人って多いのではないか。自分が活動することによってまわりもわかってくれるし、自分自身も気持ちを伝えられるようになれるのではないかという思いで取り組みました」

ひとりひとりが自分の思いを誰かに伝えていけばそれが派生していく。言葉をかけ合う人々で町がいっぱいになったら、大槌はもっと安心して暮らせる町になる、自分の地元がもっと素敵になる。そんな目標も持って、必死に取り組んだ。

「地域のためにできることをしたい」
マイプロジェクト経験で見つけた進路

結果、ワークショップに参加した町の人々から、「思いを伝える機会ができてよかった」と感謝の言葉をもらい、高い評価も受けてプロジェクトは成功。「マイプロジェクトを通して自分も地域に貢献できた」という手応えを感じていた。

亜美さん:「私も満足していました。けれども大槌臨学舎のスタッフから、『結果に満足しているだけではいけない。何を学び、次にそれをどう活かすかが重要』とアドバイスを受けたんです。この経験を次にどう活かすかを考えて、今後の進路と結びつけきました。以前は、町を離れたい、都会に行きたいと思っていました。けれどもマイプロジェクトを通じて、地域に貢献し、感謝される喜びを初めて感じることができました。自然と、『地域のために自分ができることをしたい』と気持ちが変わっていったことに気づいたんです」

気持ちの変化に気づいた亜美さん。様々な選択肢はあったが、自分は地元に残って働いて地域に貢献し、大槌町の復興を見届けたいという考えに至った。

「ここから逃げ出したい」「こんな生活は嫌」と思っていた子ども時代の亜美さんが、現在の亜美さんを見たら驚くかもしれない。高校卒業後は地元の農協に就職。窓口業務を担当し、利用者の相談や要望に応える多忙な日々を送りながら、地域の一員として役に立っているという実感もあるそう。

「地元が大好き」と語る彼女が成人式を迎える抱負について聞くと。

亜美さん:「まずはせっかく選んだこの仕事を頑張りたい。また、岩手県内のすべての市町村に旅をして制覇したい。岩手にはこんなにいいところがある、ってもっと見つけて色々な人に伝えたいです。マイプロで、自分の思いを人に伝えることの大切さを学んだので、その経験をぜひ活かしていきたいです」

震災の絶望の中、悲しみ、孤独、いら立ちを感じていた亜美さんは、9年間の出会いや学びによって大きく変化した。置かれた場所から逃げ出さず自分ができることを見つけ、「地域や人々の力になる」という思いを持つ一成人として、強く成長した。

社会人となった亜美さんは現在、自分を支えてくれたカタリバに寄付も始めているという。

亜美さん:「中学時代からお世話になったカタリバに少しでも恩返ししたくて。やっぱり今年も災害とか起きていて、私が震災で体験したようなつらい思いをしている子たちの力に少しでもなれたらなと思っています。マイプロジェクト事業のますますの発展とコラボのような場所が全国に拡がっていくことを期待しています!」

どんな絶望からも、きっと何かは見つかるはずと語る彼女の『今』は、『未来はつくれる』というカタリバのビジョンを体現しているかのようだ。いよいよ晴れやかな成人の門出。カタリバは、彼女が切り拓いていく未来も見守り、今後も応援していきたい。

取材・文=上村彰子
編集=長濱彩
写真=佐藤緑
企画・バナーデザイン=青柳望美

Writer

上村 彰子 ライター

東京都出身。2006年よりフリーランスでライター・翻訳業。人物インタビューや企業マーケティング・コピーライティング、音楽・映画関連の翻訳業務に携わる。現在、カタリバ発行のメルマガや各種コンテンツライティングを担当。

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