CLOSE

認定NPO法人カタリバ (認定特定非営利活動法人カタリバ)

〒164-0001 東京都中野区中野5丁目15番2号

お問い合わせ

※「KATARIBA」は 認定NPO法人カタリバの登録商標です(登録5293617)

Copyright © KATARIBA All Rights Reserved.

KATARIBA マガジン

不登校の子をもつ保護者を「孤立」から守る。おんせんキャンパスの10年で見えてきた支援の形/Spotlight

vol.405Interview

date

category #スタッフ #インタビュー

writer 佐々木 正孝

Profile

石飛 紫明 Shiaki Ishitobi おんせんキャンパス

東京都豊島区出身。結婚を機に島根県へ移住。家業を手伝いながら3人の子どもの子育てを行い、現在は3人の孫をもつ。前職では教育委員会の嘱託職員として小学校勤務を経験。学校に通いづらい子どもたちを支援し、地域の方々と学校や子どもたちをつなぐ役割を担う。2015年よりカタリバに地域採用として入職し、「おんせんキャンパス」の立ち上げからキャリア教育事業、不登校支援事業に従事。現在は拠点運営、保護者支援を中心に活動。地域全体の支援ネットワークを広げ、子どもや保護者を支える地域の仲間を増やすことに注力している。

度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。

すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。

シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。

社会教育コーディネーターとしての現場経験を経て、2015年にカタリバの「おんせんキャンパス」に入職した石飛紫明(いしとび・しあき)。2017年から不登校支援に取り組み続け、現在は拠点長代理として、保護者支援やアウトリーチ、高校生世代のユースサポートなど、支援の幅を広げている。

「保護者との関係づくり」「学校外の居場所づくり」──子どもとその家族に向き合い続けてきたこの10年を振り返りながら、今、感じている変化やこれからの展望、そして支援に関わる人たちへのまなざしについて聞いた。

娘の「すごかったよ」の言葉に背中を押され、カタリバへ

 

——まず「おんせんキャンパス」の取り組みと、担当している役割について教えてください。

島根県雲南市にある「おんせんキャンパス」は、学校に行きづらさを感じている子どもや、さまざまな事情で登校が難しい子どもたちを支援する施設です。正式名称は「雲南市教育支援センター」で、「おんせんキャンパス」はその愛称です。

学校生活に不安や戸惑いを抱える子どもとそのご家族を対象とし、雲南市教育委員会から委託を受け、認定NPO法人カタリバが運営しています。

支援の内容は多彩です。施設を利用する子どもたちを待つだけでなくスタッフが家庭へ訪問する「アウトリーチ」や、教室以外の別室に登校する子どもたちを迎え入れるユースワーカーとしてスタッフを小中学校に派遣する「ユースワーカー派遣」など、子どもたちの状況に応じて柔軟に対応しています。

私自身はその中でも特に「保護者支援」を担当しています。学校に行けない子どもがいるご家庭は、保護者もまた大きな不安を抱え、孤立しやすい状況にあります。だからこそ、子どもとの具体的な関わり方を考える「ペアレントトレーニング」や、体験や思いを語り合う「保護者会」など、さまざまな場を通じて支えています

——前職から子どもの支援に携わっていたそうですね。どのような思いからカタリバに入職されたのでしょう?

前職では、教育委員会の嘱託職員として社会教育コーディネーターを務めていました。地域の大人たちが立ち上げた地域自主組織と子どもをつなぐ役割で、「子どもが地域の中で育つ」という考え方に共感しながら働いていました。

ところが、社会教育コーディネーターの制度がなくなることになり、カタリバとの協働プロジェクトである「おんせんキャンパス」のスタッフにならないかと打診を受けたんです。

実はその少し前に、娘が学校でカタリバの「出張授業カタリ場」に参加しました。「出張授業カタリ場」とは、学生のボランティアスタッフが中学生と本音で語り合うというプログラム。「思っていることを何でも話してもいいんだよ」と目を輝かせて帰ってきた娘を見て、「私も、子ども自身が“良かった”と思える場をつくりたい」と強く思いました

教育や福祉の専門家でもない自分に何ができるのかという不安はありましたが、娘の「カタリバってすごかったよ」というひと言に背中を押され、「ダメだったらそのとき考えよう」と飛び込むことにしたんです。

——現在は拠点長代理としてチームをまとめています。新たにおんせんキャンパスで行っている取り組みについて教えてください。

おんせんキャンパスでは、子どもたちへの支援が年々多様になってきています。その1つが、学校の中に“小さなおんせんキャンパス”のような場をつくる「校内教育支援センター」の取り組みです。
学校によって運用の仕方に違いが出ないよう、雲南市教育委員会と共に独自のガイドラインをつくって、支援の質と安心感が保てるよう工夫しています。

また、中学校を卒業した後の子どもたちへの「ユースサポート」にも力を入れています。通信制高校に通う子のレポート作成支援や、進路の相談、居場所づくりなどを通して、必要があれば高校の先生方とも連携しながら、継続的な支援を届けています

高校生世代への支援は制度の枠外になることが多く、今は私たちが自主的に取り組んでいるのが現状です。これからは行政との連携をもっと強めて、「ユースサポートの拡充」に本格的に取り組んでいきたいと思っています。

不登校や引きこもりは教育だけの問題ではなく、地域社会全体の課題だと思います。だからこそ、子どもたちがつまずく“もっと前”の段階からつながっていけるよう、小中学校との連携も大切にしながら、支援の輪を広げていきたいです。

移住して知った「1人じゃない」と感じられる居場所の必要性

 

——主に担当されている保護者支援について、詳しく教えてください。

不登校の子どもに目を向ける中で、その子を支える保護者が孤立してしまう状況にずっと課題を感じてきました。「自分の育て方が悪かったのかも」と自分を責めてしまったり、学校という居場所を失った子どもと一緒に、保護者も社会とのつながりを失ったりすることがあるんです。

誰にも話せず、1人で悩みや不安を抱え込んでしまう方も少なくありません。だからこそ、少しでもホッとできる場をつくりたくて。「保護者会」や「ペアレントトレーニング」などを通じて、安心して話せる時間を届けられたらと思いながら取り組んでいます。

私自身、結婚を機に東京から島根に移り住み、地域でのつながりをどう築いていくか戸惑った経験があります。最初は方言や文化の違いに戸惑うこともありましたが、ママさんバレーに誘ってもらったことが、地域に馴染むきっかけになりました。年齢も立場も異なる女性たちと自然に会話が生まれ、「知っている人がいる安心感」が支えになったんです。

だからこそ、不登校のお子さんをもつ保護者にとっても、「私だけじゃない」と感じられる居場所が必要だと思っています。1人で抱え込まずに、少しでも気持ちが軽くなる場所。そうした場があることで、「また明日も頑張ろう」と思える力につながると信じています

——保護者との関係づくりでの課題と、大切にされていることは?

現実には、保護者自身が相手との距離をとってしまうことがあります。支援の集まりを企画しても、「参加するのはちょっと……」と躊躇される方も少なくありません。不登校をめぐるさまざまな出来事の中で、心に傷を負ってしまった経験がある方もいらっしゃいます。

そこで私たちは、「まず来てもらうためのきっかけづくり」をとても大事にしています。たとえば、毎月の「保護者会」に合わせて、ギネス記録に挑戦する企画や夏祭り、クリスマス会など、親子で一緒に楽しめるイベントを同時開催。すると、「子どもが行くなら一緒に行こうかな」と思ってもらえることが増えるんです。

そんな体験が、次の一歩につながるかもしれない。チームでアイデアを出し合いながら、日々工夫を重ねています。

——印象に残っている保護者の方やエピソードがあれば教えてください。

ある日、「子どもは『おんせんキャンパス』に行っていないけれど、『保護者会』に参加してもいいですか」という連絡がありました。送り主は、小中学校の6年間ずっと不登校状態のお子さんをもつお母さん。偶然「おんせんキャンパス」のホームページを見つけ、連絡をくださいました。

お会いしたときの表情は、まるで絶望の中にいるようで……。その日はカタリバスタッフや他の保護者みんなで、その方の話をお聞きしました。不安な気持ちを絞り出すようにこれまでのことを話してくださいました。

「聞いてもらう」こと「話すことができた」こと、また他の保護者の方から「うちもそうだったよ」と「共感してもらう」ことを体験され、帰り際、お母さんが「私だけじゃなかった。救われたと感じました」と感想を言われました。その言葉は、今でも心に残っています。

それ以降も、お子さんが「おんせんキャンパス」に来ることはなかったのですが、お母さんは「保護者会」に通い続けてくださいました。そして数年後、お子さんは高校へ通学を始め、今では大学生に。

そのお子さんは、最近になってボランティアとして「おんせんキャンパス」に来てくれるようにもなりました。初めて来てくれたとき、「なんでみんな僕のこと知ってるんですか?」と驚いていたのが印象的で(笑)。「それはね、お母さんが通ってきてくれていたからだよ」と、そっと伝えたくなりました。

高校へ通えるようになったのは、もちろん本人の力です。でも、保護者が「1人じゃない」と感じられる場があったことが、少しでも支えになっていたのなら、それだけでやってきてよかったと思えます。「続けていくこと」の意味を改めて実感した出来事でした。

最初の一歩を踏み出してもらう “きっかけ”をどう届けるか

 

——カタリバに参画して10年間、不登校支援と向き合ってきました。今、どのような変化を感じていますか?

この10年間、「やってきてよかった」と思える瞬間が少しずつ増えてきました。学校が「当たり前の場」から「選ばれる場」へと変化しつつあり、社会全体の不登校に対する理解も徐々に広がってきていると感じます。

とはいえ、保護者支援についてはまだまだこれから。先生たちも本当に努力されていますが、手が回らないことが多いのです。だからこそ、私たちが担える役割があり、「じゃあ私たちがやろう」と思えるこの場所の意義を、もっと広げていきたいと思っています。

最初の一歩を踏み出してもらうための“きっかけ”を、どう届けていくか。それが、これからの保護者支援で特に大切だと感じています。

——不登校支援を続けてきた中で一番大切にしてきたことは何ですか?

保護者支援というと、少しかたいイメージがありますが、私が一番大切にしているのは「話を聞くこと」です。何か特別なことを“してあげる”のではなく、ただそばにいて、「そうなんですね」と“受けとめる”だけで、保護者の方の表情がふっとゆるむことが多いんです。

私も子どもがいるので、「同じように子育てに悩んできた仲間」という安心感が、自然な信頼関係につながっているのかもしれません。今では「聞くことは私の得意なこと」と言えるようになりました。

そこにたどり着くまでには時間もかかりましたが、だからこそ今の自分の役割に大きなやりがいを感じています。

——今後、どのような支援のあり方を目指していきたいですか?

支援には、必ずしも特別な資格や立場が必要というわけではないと思っています。たとえば、そっと声をかける、話を聞く、ただ隣にいる。そんな小さな関わりでも、人は「気にかけてもらえている」と感じることで、安心を取り戻すきっかけになるのだと思います。

私自身、いつも迷いながら、悩みながら、でも一緒に考え続けています。だからこそ見えることや、届く声もあるのかもしれません。

カタリバの現場には「こうでなければならない」はありません。正解のない中で、目の前の子どもや保護者と向き合いながら、一緒に育ち合う場だと感じています。
支援を届ける私たち自身も、出会いを通して日々育ててもらっている――そんな実感をもちながら、これからも関わりを続けていきたいと思っています。


 

おんせんキャンパスがスタートした10年前、若いメンバーたちを見て石飛はこう思ったと言う。

「この人たちが雲南市の子どもたちのために働いてくれるんだ、と思ったら心から応援したくなりました。私も何でもやるよ!って。でも同時に、私にできることはあるのかな、とも感じていたんです」

それから10年。今では「私にもできることがある」と思えるようになった。地域に根ざしながら、子どもや保護者を“支える”のではなく、“ともにいる”。その姿勢こそが、地域の家族に向き合い続ける石飛の原点だ。


 

関連記事
不登校が11年連続増加。「学校内」における支援のヒントを行政、学校、民間で考える
家庭環境に制約があってもやりたいことに挑戦できる。そんな選択が当たり前に認められる社会へ/Spotlight


 

カタリバで働くことに関心のある方はぜひ採用ページをご覧ください

採用ページはこちら

Writer

佐々木 正孝 ライター

秋田県出身。児童マンガ誌などでライターとして活動を開始し、学年誌で取材、マンガ原作を手がける。2012年に編集プロダクションのキッズファクトリーを設立。サステナビリティ経営やネイチャーポジティブ、リジェネラティブについて取材・執筆を続けている。

このライターが書いた記事をもっと読む