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「わたしだからこそできるオリジナルな学びの経験」N高生に聴くマイプロジェクトの魅力

vol.145Report

「プログラミングや経営を学びたい」
N高だからできる学びを求めた

2020年4月。新入生、5,565名。

入学者数についてこんな数字を語れる高校は、ネットの高校「N高」ならではだ。2016年4月にドワンゴとKADOKAWAがネットと通信制高校の制度を活用して設立したN高は、入学者数からもわかるように、多くの中高生から選ばれる学校だ。そんなN高とカタリバは、2017年から「マイプロジェクト」で事業連携している。高校生が身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ「マイプロジェクト」を取り入れ、実践的な探究学習に取り組む生徒を多く生み出している。N高生にとってこの授業は自由参加にもかかわらず、2019年度は全国約60名もの生徒が取り組んだ。

在籍生徒数が1万人を優に超えるN高には、さまざまな背景を持った生徒が入学してくる。数ある選択肢の中から、彼らはなぜN高を選んだのだろうか?さらに、一人ひとりが多様な学び方を許されるN高で、彼らはなぜ必修科目ではない「マイプロジェクト」に取り組むのだろうか?数字だけでは見えてこないリアルな本音を、二人のN高生に聴いた。

一人目は、佑真さん。この春N高を卒業し、高校時代に取り組んでいたマイプロジェクトを進化させた株式会社SUPOTAを設立。社長業を務めながら、大学ではPBL(実践型探究学習)を学んでいる。彼はなぜ、N高に進学したのだろうか。

佑真さん:「僕はサッカーが大好きで、授業中とかもサッカーのことばっかり考えている中学生でした。地元を離れて、奈良の中高一貫校に通っていたのですが、高校・大学もサッカー、将来もサッカーを仕事にしたいと思っているほどでした。ところが高校1年のとき、怪我と病気が重なり、大好きなサッカーができなくなってしまったんです。寮に入っていて学校はすぐ近くにあったんですけどあまりにショックで授業にも行けなくなってしまって。結局出席日数が足りず、今後どうするか悩んでいた時に数ある通信制高校の資料の中から、N高の存在を知りました」

もともとプログラミングや経営にも関心のあった佑真さん。N高の多彩なプログラムや経営・ビジネスなどの社会人経験をもった教職員の存在も魅力的で、ここに通い、学びたいと強く思うようになる。早速、両親を説得し、高校を中退。地元の大阪に戻り、N高心斎橋キャンパスに再入学、2回目の高校1年生をスタートさせた。

佑真さん:「入学当初は怪我のこともあり、週3で通学するコースを選択していたのですが、思った以上に学校生活が楽しくて。もっと学びたいと、翌月には週5コースに切り替えました。社会人ゲストの講話やワークショップを中心に構成される授業は週5コースならではの充実した内容でした

佑真さん:「マイプロジェクトには入学前から興味を持っていました。自分でテーマや目標を決めてやりたいことやって、誰かの前でプレゼンしてフィードバックをもらってさらにブラッシュアップして‥なんていう活動は前にいた高校ではできなかったことで。当時高校1年生の僕から見ても、これは社会に出てからも必要なことなんだろうなというのはわかりましたし、それを高校の中で学べるのは面白そうだとわくわくしていました」

N高で出会った個性豊かな友人達とマイプロジェクトに取り組み始めた佑真さん。1年目は、当時まだ珍しかったVRを使い、高齢者の認知症予防に挑戦。佑真さんはリーダーではなかったが、プロジェクトのスケジュール管理や4名のメンバーのバランスを取るなどリーダーのサポート役として動いた。

佑真さん:「将来、経営やコンサルの仕事をしたいと思っていたので、ここでの経験は今にもつながる大きな学びになっています。プロジェクトを進行させることも大事ですが、一緒にやる人たちと『どうやるか』も重要で。個人で取り組むマイプロは自分がやりたいことだから『マイプロジェクト』なのですが、チームでやるときには本当の意味での『アワープロジェクト』にしなきゃいけない。メンバー一人ひとりにいかにそのプロジェクトに取り組む意義や目的を腹落ちさせるか、『自分の』プロジェクトとしてジブンゴト化できるかが、複数でプロジェクトに取り組むときの鍵だと知りました。これは社会に出たときの仕事、組織への姿勢と同じことが言えるんじゃないかと思いました」

1年目の学びを活かしながら、2年目は佑真さん自身がかねてから取り組みたいと思っていた”スポーツ”をテーマに活動を続けた。新たなグループのリーダーとしてチームのメンバーの成長にコミットしながら、アスリートの支援や体験会などのイベントを開催。高校卒業のタイミングで法人登記に至った。

ニュースポーツを体験できるイベントを開いた(後列右端が佑真さん)

佑真さん:「僕たちは、『アスリートとそのアスリートに関わる人たちが自由にスポーツに取り組める社会』というビジョンを掲げています。まずこれを実現したいので、高校卒業後も法人化して活動を続けています。僕自身、大学ではPBLを学んでいて、やっていることのベクトルが違うように見えるかもしれないですが、僕の中では軸が決まっているんです。アスリートがお金を稼げるような成功体験をいかに重ねられるか、ということをライフキャリア教育として捉え、大学でも学んでいます。大学でインプットしたことを事業でアウトプットしたり、N高で後輩の探究活動のサポートをさせてもらったり・・そういうのもすべて自分の成長につながってますし、すべて『河合のマイプロジェクト』として取り組んでいます。だからやることはとても多いですが、全部楽しんでやれています」

「ネットもほとんど触ったことがなかった」
田舎の中学生が
N高を選んだ理由

佑真さんのように入学前からやりたいことが明確にあってN高を選ぶ生徒がいる一方、N高にはこんな生徒もいる。

この春高校2年生に進級、島根県の自然豊かな田舎町で育った優雨さん。中学時代はネットもほとんど触ったことがなく、LINEの存在すら知らなかった。そんな優雨さんの進学先は地元島根の高校ではなく、N高の、しかも「ネットコース」だ。このコースは佑真さんの「通学コース」とは違い、島根にいながらにして、レポート提出やホームルームへの参加をすべて遠隔で行う。ITとは程遠い環境にいた優雨さんが、N高を選んだのにはこんな理由があった。

優雨さん:「中学の時の私は、夢がなくて悩んでいました。自分は将来何になりたいのか、何をしたいのか。中3の進路選択のときになりたいものがないのにどうやって高校を選べばいいのかわからなくて。普通の高校に行って普通の会社に入るということをまわりの友達もみんな考えていたし、地元の高校に行くことが当たり前の世界でした。そもそも私はネットをほとんど使ったことがなかったので、島根以外の高校の情報もありませんでした」

優雨さんが両親に悩みを相談すると、「いろんな選択肢があるよ」とネットで調べたり資料請求をしたりして一緒になって探してくれた。世の中にはこんなにも様々な進路選択の幅があるのかと驚いたそうだ。その中でもひときわ目を引く高校があった。N高だ。

優雨さん:「将来やりたいことがわからない、どうしようと思っていた私にとって、N高のプログラムは魅力的でした。特に、全国各地に体験先がある職業体験は、世の中の様々な仕事をリアルな現場で5日間もの時間をかけて学べる。自分がやりたいことを見つけるヒントになるのではと思い、このプログラムに参加したいと思ってN高に進むことを決めました。でもネットやIT関係には疎い私ですし、みんなと違う進路を歩むことはものすごく不安でした。周りの友達からも『普通のゆうちゃんがなんで』と、N高を選んだことをとても驚かれました。でも、夢がないからこそ、この学校で自分の世界を広げたいと強く思ったんです」

入学後、優雨さんは「マイプロやりませんか?」というN高からのお知らせに目が留まった。「きっとやらないだろうな・・・」と思いながらも、初めてのzoomに苦戦しつつ、マイプロジェクトの説明会に参加。説明会では、優雨さんの地元と同じような田舎にいる高校生が、地域の課題を解決するため自ら考え行動し、イキイキと自分のやりたいことを語っていた。その先輩の境遇が、自分の姿と重なって見えた。

優雨さんのご両親は過疎化が進む島根県に移住して農業を始めた

優雨さん:「私の住んでいる地域って、本当に少子高齢化が進んでいて、空き家がどんどん増えたり、馴染みのあるお店がどんどんなくなったり・・町に活気がない状態になっていて。子どもながらにそれは本当に寂しいし悲しいと思っていたんです。でも中学の時の自分は、何か活動しても『どうせ何も変わらない』って思っていました。だから何か行動したわけじゃなかった。でもマイプロジェクトの説明を聞いて、自分にも何かできることがあるんじゃないかなって思えたんです。今、町に活気がない状況から、自分が何かちょっとでも活動したことで、笑顔になる人が増えたらいいなと思い、マイプロをやってみることにしました」

自分のやりたいことを見つけるため、一歩踏み出した優雨さん。テーマは「地域活性」。両親の農場の一角を借りながら、「みんながつながれる場所」を提供することを目指し、畑づくりやイベント開催、広報のためのサイト作りや料理教室など地域の協力者を募りながら、着実に進めている。

野草のよもぎの葉を集めて団子をつくるイベントの試作会。畑で採れた野菜で優雨さんが味噌汁をふるまう

優雨さん:「はじめは、島根へのUIターン者を増やすにはどうしたらいいかを考えていました。でも地元の人たちにインタビューする中で、まずはやっぱりそこに住む人たち自身が楽しみながら、みんなで地域活性に取り組めるような環境づくりをしないといけないなと思ったんです。私1人が旅行者を呼びたいと言っても、実際地域の人たちは旅行者とか必要ないよ、UIターン者必要ないよと思っている人も多くて。だからそういう人たちが、『私たちの地元は本当にいいところだから、ここに来て欲しいよね』って思えるぐらい、いいところを創っていかないといけないんじゃないかなって考えてます。私の考え方もいろいろな人に刺激を受けて、どんどん変わっていっています」

自分の人生を
自分らしく歩むためのマイプロ

一見、N高を選んだ理由は対極にいるような二人のN高生だが、マイプロジェクトの話を聴いていると、いくつか共通点も感じられた。ひとつは、誰かに言われてマイプロをやっているのではなく、自分が主体者として「やりたい」と思うからやっている、ということだ。

佑真さん:「実は僕、時間管理は割と苦手な方で、大体課題とかも締め切りぎりぎりにやるタイプなんですけど。プロジェクト型学習、特にマイプロは、自分がやりたいと思ってやっているもので、誰かに決められた期限を設けられているわけではありません。だからこそ、自分が本当にそれをやりたいかということを含めて、自分と向き合う時間が増えました。その結果、やりたいからやる。こだわった結果、一人になってしまったとしても、僕はやり続けると思います。自分がやりたいことだから」

もうひとつの共通点は、アクションを起こし実際に行動することで、出会いがあり、成長があり、自分の未来が拓けていくという体験をしているという点だ。

優雨さん:「マイプロをやる前はすごく引っ込み思案で友達以外とは全然しゃべれない・・という私だったんですけど、マイプロに取り組み始めて、自分がどんどん行動しないと進められないっていうことがわかって。自分からインタビューしたり、たくさんの出会いを求めて自分から行動していって、やりたいことがどんどん見えてきました。マイプロの魅力は自分から動く、行動することでたくさんの人と出会って自分の意見とか知識とかがどんどん変わっていくことだなって思います」

行動すれば、未来が変わる。いろいろな人に出会い、つながれる。その出会いの中で成長できる。だから、マイプロはおもしろい。そんな風にいきいきと、楽しそうにマイプロジェクトを語る2人から、「マイプロジェクト」とは、自分の人生を主体的に自分らしく歩いていく「オリジナルな人生」の第一歩なのだと感じた。

佑真さん:「僕は高校でマイプロジェクトに取り組むことができたおかげで、学びたいことが定まり、大学を選ぶことができました。そういう風に積極的に進路を選べる人がもっと増えるといいなと思っていて、それを可能にするのがマイプロジェクトだと思います。マイプロを通して自分がやりたいことを突き詰めてやっている人たちって元気がいいというか、話していても楽しいんですよね。自分の人生を誰かに委ねるんじゃなくて、『自分のもの』にしているからですかね」

たしかに「マイプロ」を語る2人の話は魅力的で、どう成長し、どのようなインパクトを社会に与えていくか、この先のストーリーも楽しみだ。

今まさに、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、私たちはこれまでの前提や常識が通用しない社会を歩き始めている。2人のN高生が語ったように、「わたしだからこそできるオリジナルな学びの経験」は、このような予測不能な現代を生きていく上での確かな力となるはずだ。

Writer

長濱 彩 編集担当

1988年生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜国立大学卒業後、JICA青年海外協力隊でベナン共和国に赴任。理数科教師として2年間活動。帰国後、2014年4月カタリバに就職。岩手県大槌町のコラボ・スクールで数学を担当。小学部、適応指導教室の立ち上げにも携わる。第一子出産を機に島根県雲南市のおんせんキャンパスへ異動。不登校支援を行う。第二子出産と夫の転職を機に、沖縄県那覇市へ移住。2019年5月~復職し、在宅でカタリバmagazineの編集を行う。

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