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「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ/NEW FACE #002

vol.089Interview

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category #インタビュー #スタッフ

writer 青柳 望美

tag #NEW FACE

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。NPOへの転職も震災以降増え、カタリバにも、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナー、多様なバックグラウンドを持った人材が毎年転職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、転職という人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

2019年4月にNPOカタリバに転職してきた齊藤。前職は埼玉県で中学校の教員を務めていた。NPOカタリバ入職後は、文京区青少年プラザb-labに配属。中高生が何にでも挑戦できる、日本にはまだ少ない新しいサードプレイスで、イベントの企画運営や業務改善などを担っている。

入社5ヶ月。教員から教育NPOに転身した25歳の選択について聞いた。

学校と先生が大好きだから、
小さい頃からずっと先生になりたかった

前職は中学校で国語の先生をされていたんですよね。
幼い頃から先生になりたいと考えていたんですか?

そうですね、中学2年か3年の時には、もう先生になりたいと思っていました。

通っていた中学校が1,000人規模のマンモス校だったんですが、すごく荒れていたんです。もうドラマみたいに、ガラスが割れたり靴がなくなったりして。でもそんな荒れている子たちも、悪い子じゃないんですよね。エネルギーの発散の仕方が分からないだけ。先生たちもそれが分かっているので、信じてちゃんと向き合っていて。卒業する時には、ものすごく荒れていた子も、「先生ありがとう」って言って卒業していくんですよ。そういう様子を見ていて、先生たちのことをすごいな、自分もそんな風に人と関われるようになりたいなと思っていました。

あと私、学校が大好きだったんです。先生という生き物が好きで笑。
勉強も部活も生徒会もやっていたんですが、先生たちは頑張るとすごく喜んでくれて、褒めてくれて。親もそういうリアクションはくれましたが、先生たちはやっぱり一味違う。うまいというか、もっと頑張ろうと思える一言を必ずくれる、1番身近な存在でした。先生も大好きだし、クラスのみんなとも仲良くしたいから、先生とクラスのみんなの間に入って、学級運営が円滑にいくように色々動いたりするような生徒でした。

なので、すごく子どもが好きだから先生になりたいというより、学校と先生が大好きだったので、自然と自分も先生になりたいと思っていました。

高校に入ってからもそれは変わらず、教育学部しかない大学に進学して、そのまま教員になりました。

中学生の頃からぶれずにまっすぐ先生になる道を進んできたんですね。
他の選択肢を考えて、迷うことはなかったんですか?

このままストレートで教員になっていいのかな?と悩んだ時期はありました。

最終的に先生になりたいというのはぶれませんでしたが、実習も経験したことで、自分が子どもたちに語れる範囲の狭さに気づいたというか。もっと色々な経験を積んで、自分の幅を広げてからのほうがいいのかもしれないと迷ったことはありました。

大学で学んでいることも教育だし、学校外の活動で取り組んでいたのも、週1回中学校を訪問して悩みを聞いたり授業のサポートをする教育活動。あまりにもずっと自分は教育一辺倒で、院に行くとか民間企業に就職するとか、幅を広げてから先生になったほうがいいのかなと…

でも、じゃあ何をする?と考えると、先生になる以外にやりたいことがなかったんです。漠然とした「他のことにも挑戦したほうがいい」という思いはあるんですが、明確なものは教育以外全然なくて。だったらやっぱり1番になりたいものになろう、やりたいことにどっぷりと浸かってみようと。自分の幅の広げ方はその後考えようと決めて、教員になることを選びました。

多忙な毎日に追われながら、
理想と現実のギャップに苦しんだ

子どもの頃からの夢を叶えて始まった、教員生活。
どうでしたか?

1年目はとにかく楽しかったです。目に入るもの、やること全てが新しくて。中学生もみんなかわいいし、副担任でクラスを持っていなかったので、広くみんなのことを見れて。何より授業をしている時が1番楽しかったです。どうすればここまでたどり着いてくれるかな?とか、どうすれば好奇心を引き出せて飽きさせないかな?と考えて、50分を組み立てるのが楽しくて。設計通りのところで盛り上がったり、こんな意見が出たらいいなと思った通りの議論が進んだりするのが嬉しいんです。

自分ができることは全部出しきって、1年目が終わる頃には評価してくださる先生方もたくさんいて、充実していました。

それで2年目になってから、一気に仕事が増えました。初めての担任、2学年分の授業準備、生徒会、会計、文化祭などの行事、研究業務の主担当…どの仕事も楽しいんです。楽しいんですけど、忙しすぎて、自分が何をやってるのかわからなくなるほどでした。平日だけでは仕事が終わらないので、土日は部活を見ながら終わっていない仕事をする、休みや余白のない日々。本当は全部100%頑張りたいのに、手が回っていないもどかしさを感じて…

例えば、学校に教員以外の大人がどんどん入っている環境をつくりたい、とずっと考えていました。私は先生になる道しか知らないので、他のことを語れません。色々な仕事をしている友だちをつくって、子どもたちに会わせることができれば、もっと子どもたちの可能性を広げられるのではと。でも実際にそんな機会をつくる時間も実力もなくて…

もっとやりたいのに手が回らない、実現したいことがあるのにできない…そんな自分の力不足を痛感していたので、余計に、成長のために新しいことを学んだり、自己投資に使う時間がないことが不安になっていきました。

教員の多忙さは深刻で、社会的にも課題視されていますよね。
齊藤さんは忙しさと同時に、自分の理想と現実のギャップにも苦しんでいた。
そんな中で、カタリバに転職された理由はなんだったんですか?

色々と余裕がない中で、ふと、スキルや経験といった蓄えを積むために、いま別の道を選んでもいいんじゃないかと思ったんです。もちろんそのまま頑張り続ける中で成長していく道もあったと思うんですが。

新卒の時も、自分の幅を広げてから先生になる道と、まず先生になってから足りない部分を見つけて、別の場所で力をつけて先生に戻る道と、どっちがいいか悩んで後者を選びました。元々いつかは自分の経験を広げるために学校以外の仕事も経験したいと思っていたので、予定していたよりもはやいけれど、他の世界を見てみようと。

そういうタイミングに、たまたま参加したイベントで、カタリバ職員でb-labのマネージャーをしている方に会う機会がありました。(b-labはカタリバが文京区から委託を受けて運営するユースセンター、詳細はこちら)しかも在学期間は重なっていないんですが、大学の先輩でサークルも一緒だったという共通点もあって。b-labの話を聞いて、興味を持ったので見学に行かせてもらいました。

見に行って、驚きました。こんなにいい場所があったんだ!と。ここでノウハウを学べば学校に持ち帰れるものがあるじゃないかと思って、選考を受けました。

いつかは地元にユースセンターをつくりたい

先生だった齊藤さんからみて、b-labの1番驚いた部分や
いいと思った部分はどこだったんでしょうか。

子どもたちが「やりたい!」と発信したことを、自由に挑戦させてあげることです。

学校だと、どうしても子どもたち主体で自由に挑戦することが難しくて…何かやるにも自分のクラスだけOKにすることができないので、学校全体でOKにする必要があって、他の先生たちみんなの許可をとっていかないといけないんです。もちろん重要で変えられない規則もありますし、全てに対応するのはなかなか…それに先生は「タテの関係」。指導として怒らないといけないこともたくさんあります。子どもの意見を尊重して、対等に接することだけでは成り立ちません。

なので、こんなにも「これやってみたい!」「うん、OK!」みたいな、子どもと職員の関係性にびっくりしました。

すごいなと思ったエピソードがあって。b-labには音楽スタジオがあるんですが、そのスタジオの機材を充実させるために、高校生が自分で必要なものを考えてプランをプレゼンテーションして、しかもそれが通ったという話を聞いて。そういうところまで子どもの主体性を大切にするんだなと思って驚きました。

b-labでは日々、小さなものから大きなものまでたくさんのイベントが開かれていますが、どれも子どもたちの「やりたい」から始まっているんです。何事も子どもが主体で、大人はそれを応援するというか、伴走しながら一緒の方向を向く。そういうスタンスが浸透していて、すごいなと思っています。

でもこれって、ナナメの関係の人の特権というか。タテの関係の先生や親がいるからこそできることでもありますよね。子どもたちの日常には、ナナメの関係による受容も、タテの関係からの指導も、両方あることが大事だなと思います。

そうですよね、タテの関係もナナメの関係も、
両方が当たり前にある日常を、学校と社会の境界線が
もっとなくなっていくことで実現できたらいいですよね。

b-labで実際に働きはじめてみて、いかがですか?

今はスポーツイベントを毎月企画・実施したり、中高生がもっと利用したくなる場所にするためにb-lab全体の業務改善を担当しています。

新しいことを吸収しながら、アイデアをどんどん形にしていけることがすごく楽しくて、やりがいを感じています。子どもたちの「やりたい」を引き出して、1年目でもイベントを企画から立ち上げることができるので。中高生と話すのも楽しいですよ!東京の子たちは、教員だった時に見ていた子たちよりもちょっと大人っぽい感じがしますけど。

実はあまり指導することが得意ではなかったので、先生の役割で子どもたちに関わるよりも、私はナナメの関係の役割のほうが合っているような気がしています。

これからの夢や目標は何かありますか?

b-labのようなユースセンターが日本中に増えていったらいいなと思っています。今は子どもたちは学校でうまくいかないと、それが全てなので、全部がだめなような気がしてしまう。もし学校が合わなくてもこっちでは活躍できる、みたいな選択肢があって、子どもたちが居場所を選べる社会になったらいいなって思います。

いつか地元の埼玉にb-labみたいな場所をつくるのが夢です。やっぱり顔が浮かぶので、自分が担任だったあの子にとって、b-labがあったらきっと良かっただろうなとか。別の道を選んで東京に出たことで、地元の子たちのことをほっぽりだしてきてしまったような感覚もあるので、いつかあの子たちが集まれる場所をつくりたい。実現できたらいいなと思っています。

あと、こういう子どもとの関わり方もあるんだって、先生もナナメの立場を体験してみる機会があったらいいなと思います。タテの関係なんだけど、少しナナメになってみるとか、そういう幅のある先生がたくさんいたほうが学校がもっと面白くなるんじゃないかと。多くの先生たちが限界まで気を張って頑張っているので、ナナメの関わりを体験することで、時には肩の力が抜けるというか。そうなったら素敵だなと思います。

これからは、ユースセンターだけでなく、学ぶ環境の選択肢が増えていくと思うんです。もしかしたら、学校に行かない子が増えるかもしれない。そうなっても、私は子どもの頃から学校が好きなので、先生も子どもも行きたい学校であり続けるために、何かしたい。また先生に戻るのか、外から関わるのかはわかりませんが、ずっと学校を大切に思っていくと思います。

齊藤は、学校と先生が好きだからこそ、もっと自分の幅を広げて力をつけようと1歩踏み出した道が、カタリバへの転職につながった。

教員を経験したうえで、ナナメの関係のプロであるユースワーカーとして成長した彼女が、その時学校やユースセンターに何を思うのか。数年後が楽しみだ。

この連載の記事
#01/「人生のビジョンを実現するために選んだ道」25歳の彼が国際NPOからカタリバに転職したわけ


 

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Writer

青柳 望美 編集長

1983年生まれ。群馬県前橋市出身。大学時代は英語ができないバックパッカー。人材系企業数社で営業・営業企画・Webマーケティング・Webデザインを担当。非営利セクターで働いてみたいと考え2014年4月にカタリバに転職。全国高校生マイプロジェクトの全国展開・雲南市プロジェクト・アダチベースなどの立上げを担当。現在は新規プロジェクトの企画や団体のブランディングなどを担当。カタリバmagazine編集長。

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