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認定NPO法人カタリバ (認定特定非営利活動法人カタリバ)

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KATARIBA マガジン

震災から9年ー。対話を軸にまちの教育の未来を町民みんなでつくる、岩手県大槌町の挑戦。

vol.134Report

date

category #活動レポート

writer 長濱 彩

“よそ者NPO”が運営する
町の放課後学校

「2040年、大槌町は消滅するかもしれない」

ーー民間の有識者らで組織する日本創生会議が2014年に発表した試算に、町は大きな危機感を覚えた。

三陸の美しく豊かな山と海に囲まれる岩手県大槌町は9年前、東日本大震災による地震・津波によって甚大な被害を受け、町民の1割に当たる1,284人を失った。震災以降も人口は減り続け、町内の唯一の県立高校「大槌高校」では、2019年度の入学者は42人。岩手県の高校再編計画により近い将来統廃合される可能性も浮上している。

2011年3月11日、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町

「震災で多くのものを失った子どもたちから、ふるさと大槌を奪ってはいけない。」町の大人たちが一丸となりこの危機を脱し、持続可能な大槌町をつくる必要があった。

カタリバは、震災後の2011年9月から大槌町の教育に関わってきた。被災した子どもたちの心のケアを行う居場所と学びの場「コラボ・スクール大槌臨学舎」(同年12月開校)という放課後学校を町の中で運営してきたのだ。震災から9年が経つ今では、”学習ができる居場所”の域を飛び越え、教育委員会、学校、保護者、地域と強固なスクラムを組み、子どもたちの”日常”を支える存在となっている。

「コラボ・スクール大槌臨学舎」 この場所で子どもたちに、大きな困難を乗り越え、学びに向き合い、今の自分に向き合い、震災に向き合ってほしいという想いで名付けられた

その取り組みの中枢で、大槌の教育に人生をかけ、立ち回る一人の男がいる。カタリバの職員であり、コラボ・スクールの初代校舎長、菅野祐太だ。

大企業に勤め東京で働いていた彼は、震災を機にカタリバに転職。臨学舎で校舎長を5年務めた後、民間の立場でありながら、町の教育委員会にも「教育専門官」として籍を置き、町の教育を動かしている。一見クールで淡々と事業を押し進めるように見える彼だが、心の奥底にある志は誰よりも高く、そして強い。彼が引き受けてきた責務と苦労は幾程のものだったか。大槌の復興とともに歩みを進めてきた菅野に、この9年とこれからを語ってもらった。

菅野:「祖父母の実家が岩手県陸前高田にあった縁もあり、震災直後は瓦礫の撤去などボランティア活動をしていました。そんな中、カタリバが大槌町で放課後学校を開校するから手伝わないかと誘われ、会社を休職し、手伝いに行きました。その後、東京と大槌町を行ったり来たりしていましたが、大槌町の教育に本気で携わりたいと思うようになり、カタリバに転職。臨学舎の校舎長を引き受けました」

NPOカタリバ 大槌町教育専門官 菅野祐太 2009年、早稲田大学教育学部を卒業。同年、リクルートキャリアに入社。 祖父母宅が岩手県陸前高田市にあった縁もあり、東日本大震災を機に、2011年9月からコラボ・スクール大槌臨学舎の立ち上げに従事。一時、リクルートキャリアに戻るも、2013年4月から、大槌臨学舎の統括担当として勤務。2018年4月より大槌町教育専門官として、他の自治体では類を見ないNPOから行政で勤務。2019年4月より大槌高校魅力化推進員として高校に常駐。

菅野:「臨学舎立ち上げ当初は教育委員会も学校の先生方も、未曾有の災害の混乱の真っ只中。学校再開や生活再建に追われ、どこぞのNPOが『子どもたちの居場所をつくりたい』と言っても『どうぞ勝手にやってくれ』という状況で、相手にされませんでした。町民からも気味悪がられていたと思います。『東京から来た若者に、”よそ者”のお前たちに、一体何ができるんだ』と。当時は、そう思うのは仕方ないくらい、大変な状況でした」

2011年12月、地元のお寺や公民館を間借りし、コラボ・スクール大槌臨学舎は開校した。「ニーズはない」と言われていた。しかし、蓋を開けてみれば、実に町の7割の中3生、80名あまりが通う場所となった。町でどんな噂が立とうとも、子どもたちは通ってきた。放課後、学校から出るバスに乗り込み、夜まで学ぶ。彼らの「学びたい」という気持ちが希望だった。

瓦礫が積みあがり、色のない町の中で、夜、臨学舎に灯る光が、いつかこの町を支える希望のように見えた、と菅野は言う。

開校当初の「コラボ・スクール大槌臨学舎」夜になると子どもたちが集まってくる

初めはお寺や公民館を間借りして開催していた

生徒たちは臨学舎を思いおもいに使いはじめた。町外から来たスタッフをお兄さんやお姉さんのように慕い通ってくる子。震災で遅れてしまった勉強を取り戻したいと思って来る子。中には学校に通えず、コラボ・スクールにだけ通ってくる子もいた。

はじめは不信がっていた町民や学校の先生たちも、子どもたちが楽しそうに通う姿を見て少しずつ変わっていった。

菅野:「生徒たちとは、震災のこと、これからの進路のこと、友達との人間関係のことなど、たくさん語りました。勉強の合間にそっと話しかけてくる子や『どうしてわざわざ大槌まで来たの?』なんて聞いてくる子も。無邪気に接してくる反面、彼らの心の奥にはなかなか届かないもどかしさも感じていました。抑え込んでいるような、言葉にならない我慢のようなものを感じる時も。そんな彼らと向き合っていたら、こんなに多感な子どもたちがカタリバに来ている時間だけではなく、学校や放課後、家庭、全部が一緒になって協力していかないと子どもたちを支える環境は変わらないのではないか。我々が独自にやるのではなく、学校や行政との連携をすべきなのではないかと強く感じるようになりました」

臨学舎に通ってくる子どもたちに話をする当時の菅野

菅野の姿勢が伝わったのか、行政からの頼まれごとが徐々に増えていった。土曜学校、不登校の子たちへの対応、学校内での放課後活動などとにかく引き受けていった。ただ請け負うだけでなく、行政と一緒にたくさん悩み、進め方を考えた。少しずつ、カタリバも大槌町の教育復興の仲間に入れてもらい、地域の人や教育委員会と一緒になりながら取り組むことができるようになっていった。

はじめは”よそ者”だったカタリバが、4〜5年の月日をかけ、飲んで語って、大槌の子どもたちをこう支えていきたいなんて言い合える、そんなチームになっていったのだ。

NPO職員でありながら
まちの教育専門官に

「町づくりは人づくりにあり 人づくりは教育にあり」。

この言葉は以前から大槌の教育行政の理念として掲げられてきた。当時の大槌町教育長、伊藤正治さん(2019年3月退任)はこの震災という契機を、課題だらけだった大槌町の教育復興のチャンスととらえ、2011年6月、大槌の教育をゼロからつくり直す教育改革構想として具体化した。迅速かつ着実に改革を進めていく教育長と行動を共にする時間が長くなった菅野は、その情熱に感化されていった。

菅野:「だんだんと日が経っていき、震災後の混乱期を支えてきた人が一人、またひとりと大槌から異動になっていきました。あの当時からの思いを持って教育を支えていく人が大槌にいなくなってしまうのではと私は強い危機感を覚え、何週間も考えた末、伊藤教育長にある相談をしました」

菅野はNPOの職員でありながら、自らを教育委員会に配置し、町政という立場からこの町の教育を支えさせて欲しい、と志願したのだ。この地に根を張り、ここの教育に人生をかけるという覚悟を伝えた瞬間だった。伊藤正治さんは、この時の胸中を筆者に語った。

伊藤さん:「震災前の大槌は、学校のガラスがしょっちゅう割れたり、生徒が消火器で遊んで消防署から厳重注意を受けたり、落ち着いているとは言えない状況でした。それから小学校から中学校に上がる際に勉強についていけない、などの理由でドロップアウトしてしまう子どもたちもいました。学力の低さ、学校に閉じた教育、不登校など、様々な課題がありました」

大槌町前教育長 伊藤正治 1948年岩手県大槌町生まれ。小学校6年生のときに大槌でチリ津波を経験。大学卒業後小学校の教員に。1996年~3年間米ワシントンの日本人学校に校長として赴任。ここでの経験が自身の教育観に大きな影響を与える。帰国後、大槌で校長を務めたのち、2008年4月同町教育長に就任。2011年震災後も教育復興に心血を注ぎ、抜本的な教育改革を推し進める。2019年3月に退任してからも志は変わらず、子どもたちの未来のことを考え日々活動している。

伊藤さん:「震災が起き、学校機能は一時麻痺。校舎も7校中5校が被災。無事だった校舎の一部を間借りし、校舎の中でひしめきあって子どもたちが必死に学んでいる状態でした。その子どもたちの学びに向かう姿勢を見て、これは、大槌の教育を変えるチャンスだと思いました。早急に小中一貫教育や『ふるさと科』という大槌独自の科目の新設など、新しい大槌の教育をつくっていきました。

あの日、菅野君から教育委員会で働きたいと申し入れがあったとき、ちょうど小中一貫教育のその先、高校教育までを見据えた町の教育を大きな視点でとらえ、改革を推進していく人材を求めていたところでした。菅野君のこれまでの働きは見ていましたから、適任だと思い、今までに例のない『教育専門官』という役を彼のためにつくりました。これからの大槌町には、彼のように本気で、大槌の教育を支えてくれる存在が必要だ、と町長と副町長に直談判して」

こうして菅野はNPO職員でありながら、町の教育委員会に籍を置き、行政へのハンズオン支援を行うことになった。

町の教育の指針「教育大綱」を
町民の手でつくる

2017年4月。教育専門官という新たな立場から大槌の教育に臨むことになった菅野は、伊藤教育長に一つの提案を持ちかけた。「町全体で教育を考える風土をつくっていきたい。そのために、町の教育の目標や施策の根本となる方針を定める『教育大綱の策定』を活かすことはできないでしょうか。」

「教育大綱」は自治体における教育の目標や施策の根本となる方針のことだ。法律で”地方公共団体の長が地域の実情に応じて定めるもの”とされている。

菅野:「町のみんなで教育大綱をつくることで、大槌町民にとって大槌の教育や未来を『ジブンゴト』として考えるきっかけになると思ったんです。例えば、産業や保健福祉など、教育と連携すべきだけど後回しになっている部署はたくさんあります。大綱の策定を通して連携するきっかけを生むことができるのではないか。さらに行政だけでなく、大槌町民『みんなで』この大綱を作り上げることができたら、町の方針づくりに関わったという体験が、町民の主体性を引き出していくと考えました」

菅野は”プロセス”にこだわって、教育大綱を策定していった。伊藤教育長も彼の背中を押した。かくして、年齢や立場を超え、町民が互いに自身の想いや願いを語り合う「対話」の場が町内で何度も持たれることになった。

2017年7月からの2か月間、菅野は計13回すべての場に出席し、のべ500名にものぼる町民の意見に耳を傾けた。4人しか来ないワークショップもあった。しかしそれでも足を運び、話を聞きに行った。

年齢や立場を超え、町民が互いに自身の想いや願いを語り合う「対話」の場を何度もなんども開いた

菅野:「みんな子どもたちのために何かしたいと心の底から思っていました。違う方向を向いているように見えていた団体や人たちが、対話をしてみると、実は願いが一緒だということがわかったんです。みんなの願いであり課題感を持っていたのは、『地区子ども会を復活させること』『郷土芸能を長く続けていくこと』そして『部活動の存続』、この3点でした。地域で子どもたちを支える。支えることを通して地域が活気づく。そして子どもたちがそこで元気に自分らしく活動するという機会を、実は震災が奪っていったのかもしれない。このすごく具体的な課題を深めていくために、講師を呼ぶことにしました」

菅野が招いたのは、学生時代の恩師でもあり、当時の文部科学大臣補佐官、鈴木寛さんだった。彼は「この地域の子どもたちが、日本の誰よりも幸せな人生を送るための力を獲得するための教育を考えましょう」と町民を激励した。この言葉をきっかけに議論が活性化し、大槌に生まれたからこそ出来ることを目一杯やり、大槌に生まれたからこそできなくなってしまうことを少しでも減らそうと話し合われた。

当時の文部科学大臣補佐官、鈴木寛さんを招いて開催した「大槌教育未来会議」

そうして2018年3月。ついに教育大綱が公示された。「学びがふるさとを育て、ふるさとが学びを育てるまち大槌」。これは、教育そのものが町を作る幹となるという決意から生まれた言葉だった。菅野がこだわった策定までのプロセスは、まさに町民の手作りで、温かな想いの詰まった、町の未来をこどもたちに託す「意思のバトン」となった。

菅野:「大綱はできました。でもここが始まりなんです。この大綱の想いを具現化していくため、次に必要だったことは、町内唯一の県立高校『大槌高校』の再生です。全国の中学生が大槌で学びたい、と思えるような魅力的な高校にすること。島根県海士町の島前高校をモデルに、これからの大槌や東北を引っ張っていくリーダーが育つようなカリキュラムを考えていく必要がありました」

大槌高校魅力化プロジェクト始動

2019年4月。菅野を含めたカタリバのスタッフ3名が大槌高校に着任した。大槌高校の魅力化プロジェクトを推進する役目だ。2024年には61人の入学者を目指す。当事者である高校生、教員、管理職、行政、さらには町民をも巻き込み、大槌高校の魅力化プランを考え、実行していった。

小中学校で学んだ「ふるさと科」の発展科目である「三陸みらい探究」の制定や、学校外につながる学びの場「大槌発みらい塾」「三陸ラーニングジャーニー」の実施、HPのリニューアルなど、順次推し進めている。この大槌高校魅力化の熱は国にも届き、文科省の新事業である「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」の全国で50校枠のうちの1校に採択され、年間400万円の予算が3年間つくようになった。岩手県でも唯一である。

先生たちとの協働態勢も1年、いや9年かけて整えてきた。震災当時、先生たちにとって、学校外の人や団体は“教育の門外漢”という認識だったが、今やそのリソースをいかにうまく活用して教育に還元するか、という前のめりな姿勢に変わっている。

大槌学園の前で話す伊藤さんと菅野

伊藤さん:「大槌の子どもも大人も、カタリバの若い人たちと関わる中で、どう生きていくか・なんのために学ぶのか、『学びとの向き合い方』を教えてもらっているようでした。臨学舎は学校の勉強を補完するための場ではなく、居場所であり、キャリア教育の場でもありました。今は高校でもその文化を根付かせようとしてくれている。子どもたちが、様々な出会いの中で自分を見つけて、豊かに太らせていく。彼らがこれから社会と関わっていく中で、何よりも自尊感情、そして人との関わり方が身につくような学びをつくっていくことがとても大切です。これからもカタリバさんにはそんな役割を担っていってもらえると嬉しいです」

震災によって絶望に包まれ、町の存続さえ危ぶまれたこの地が、教育を柱とし、町内外の様々なリソースを巻き込みながら再生、いや、それ以上のものになろうとしている。

震災後9年、という時間が長いのか短いのかわからない。本当にこれでいいのか、何かの役に立っているだろうか、何につながるのだろうか。毎日が、そんな不安との闘いだったかもしれない。誰がこの先を知っていたわけでもない。

しかし、町民も、町政も、ともに歩んできた菅野をはじめとしたカタリバスタッフも、この9年間の一日一日が、大槌という町がひとつになって、前を向いて歩んでいくために欠かせないものだったと感じているはずだ。

前に進みながら、時には一歩戻りながら。それでも子どもたちの未来をつくっていく、という信念をもってこだわり抜いた大槌町とカタリバの挑戦は、これからも続いていく。

Writer

長濱 彩 編集担当

1988年生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜国立大学卒業後、JICA青年海外協力隊でベナン共和国に赴任。理数科教師として2年間活動。帰国後、2014年4月カタリバに就職。岩手県大槌町のコラボ・スクールで数学を担当。小学部、適応指導教室の立ち上げにも携わる。第一子出産を機に島根県雲南市のおんせんキャンパスへ異動。不登校支援を行う。第二子出産と夫の転職を機に、沖縄県那覇市へ移住。2019年5月~復職し、在宅でカタリバmagazineの編集を行う。

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