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地元に400台のAEDを設置。信念を貫き通したら、人生が変わったある高校生の話

vol.183Interview

date

category #10代 #インタビュー

writer 田中 嘉人

学習指導要領の改訂により、高等学校の「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に移行され始めている。「探究」という言葉をここ数年で耳にする機会が増えた方は、教育関係者に限らず多いのではないだろうか。

「総合的な探究の時間」への移行も含めた高等学校での新学習指導要領の施行は2022年4月から。しかし「総合的な探究の時間」については、平成31年(2019)度入学の高校1年生から、新学習指導要領の施行に先んじて学習が始まっている。また、大学入試においても高校時代に取り組んだ探究学習の内容や、その学びを経たうえでなぜこの大学で学びたいのかなどといった、探究に取り組んだ経験や意欲を評価する入試方式を用意する大学も見られ始めている。

「他人ごとの課題ではない、生徒自身にとっても課題と感じられるテーマを設定し、解決していく」ことを目指す「総合的な”探究”の時間」。不確かな時代だからこそ、高校時代に正解のない問いに向き合い探究することが、社会を生き抜く力に直結するのではないだろうか。

ここに探究の時間によって、人生が変わった一人の青年がいる。この春高校を卒業する恩田佑太さんだ。彼はいったいどのような活動に取り組み、どのように人生を切り拓いたのか話を聞いた。

「これって一体何の役に立つの?」
とまどいから始まった探究の時間

ー恩田さんは高校の授業の中で活動に取り組まれたんですよね。まずはそのことについて教えていただけますか?

「総合的な探究の時間」が始まったのは、高校2年生のとき。ぼくは高校の特進コースに通っていたのですが、ぼくたちの学年が先駆けてスタートしました。高校では特進コースということで大学入試に向けて勉強を頑張ろうと思っていたので、正直「総合的な探究の時間」が始まったときはやらされているという気持ちの方が強かったですね。先生から「探究の時間は座学では身に付けられないスキルや知識が学べる」と聞きましたが、「本当に大学受験に必要なのだろうか?」と疑問や不安を感じていました。

ーともすると、やらされている気持ちの方が強いまま「総合的な探究の時間」が過ぎていくケースもありそうですが、恩田さんはどんな風に取り組んでいったんですか? 

「総合的な探究の時間」では、「自分の好きなことをテーマに探究してみよう」という先生たちの声掛けからスタートしました。だから「カラスを好きになるにはどうしたらいいか?」をテーマにするクラスメイトなど、本当に身近な関心ごとから生まれるテーマが沢山あって。

そのなかでぼくは、「防災」をテーマにしてみようと思ったんです。

「総合的な探究の時間」での活動を発表する恩田さん

そもそも防災に関心を抱くようになったきっかけは、小学校2年生ぐらいから参加していた地域の消防少年団です。そういえば、東日本大震災を経験したのも、ちょうどその頃。消防少年団に参加して以来、漠然と頭の片隅で、防災について考え続けていたような気がします。中学、高校と進学しても、自然災害のニュースを見たり、ときには自分が経験したりすることでより深く自分ごととして考えるようになっていきました。

同時に「自分だけが課題意識を持っていてもできることは少ない」と気づくように。たとえば、避難の方法。いくら自分だけが詳しくても、地域の人たちが知らなければ、万が一の事態を防ぐことはできない。心のもやもやが大きくなってきたタイミングだったので「総合的な探究の時間」では防災をテーマに取り組んでみることにしました。

ーこれまでの経験から、防災に対する課題意識があったわけですね。防災をテーマに決めた後はどんな活動に取り組んでいかれたのですか?

ぼくは東京都内に住んでいるのですが、東京都には都が主催する救命講習会というものがあります。ただ、講習会は平日の日中に開催されていたり、休日を含めたとしても「土・日・月」の開催だったりして、学生が受講しやすい日程ではなかったんです。だから活動を始めた最初の段階では「もっと学生が防災に関わりやすい環境をつくれないか」と考えていました。

そこでまず、ぼく自身が講習会に参加し指導者の資格を取得して、地元の防災訓練に指導する側として参加したんです。AEDの使い方を説明していたときに、ある参加者から「ところで、AEDってどこにあるの?」と聞かれて。調べてみたら、地域にAEDが全く設置されていなかったんです。いくらAEDの使い方を知っていても、実際に設置されていなければ使うことすらできない。そに気づいたぼくは、AEDの普及にフォーカスして活動していくことを決めました。

最初は「総合的な探究の時間」の授業に前向きではなかったですが、防災というテーマを決めて行動していくうちに、どんどん関心が深まっていき、気づいたらこの活動にのめりこんでいました。

「高校生だから」をできない理由にしたくない

ー具体的には、どういう活動をしていったのでしょうか?

まずはコンビニエンスストアへの設置を考えました。そこで大手コンビニエンスストアの本社宛に「AEDを設置してほしい」とメールを送ったんです。

ところが結果は散々。まず返事すらないところが2社。返事はあっても「ご要望にはお答えできません」といった内容のメールが1社。残りの1社からは「電話で聞きたい」と言われたんですが、実際に話をすると「高校生ならこんな活動しないで勉強した方がいいんじゃない?」というようなことを言われてしまって……さすがにショックを受けましたね。何かアクションを起こそうとしても「高校生だから」ができない理由になってしまう現実を目の当たりにして。正直、挫折しかけてました。

ーどのように立ち直っていったんですか?

支えてくれた大人たちの存在がすごく大きかったですね。

まずは親。ぼくの活動に対して、「社会勉強になるはず」と応援してくれました。
心が折れかけていたときも、親の知り合いで地元でコミュニティラジオをつくっている方や、地域貢献している団体の会長さんの存在を教えてくれたんです。そういう方たちがさらに人を繋いでくれたおかげで、市議会議員の方と話ができたり、新聞で取り上げてもらえたりして……この頃から少しずつ景色が変わってきました。

また、地域のお年寄りの方たちの支えもすごくありがたかったですね。ぼくが暮らしているのが高齢者率40%の地域で、幼い頃から近所のおじいちゃんやおばあちゃんに遊んでもらったり、一緒に野菜を取りにいったりしていて、「みんなぼくのことを知っているんじゃないか」と思えるほど。だから、新聞にぼくの活動が取り上げられると、顔を合わせるたびに「頑張ってね」「応援しているよ」と声をかけてもらえて。

ぼく自身、「いつも通学路で見守ってくれていたおじいちゃんやおばあちゃんのために何かしたい」という気持ちもあったので、温かいひと声はすごく励みになりました。

学校の先生には授業の時間などを使って、活動の相談をしてアドバイスをもらっていました。
また、色々な人たちの支えのなかで繋がった市議会議員の方にもサポートしてもらい、市役所の人に直接提案をすることもできました。設置先や市にAEDの必要性を何度も伝えていくことによって、最終的には400台のAED設置が決定しました。今は順次設置が進められているところです。

市役所職員の方と一緒に。恩田さんが手にしているのは、地域のAED空白地域を示した地図

「興味関心だけは誰にも負けない」
信念を曲げずに貫き通したその先

ー学校生活もどんどん変わっていったのではないでしょうか。

かける時間の比率は明らかに変わっていきましたね。もともとは6が勉強、4が探究の割合だったのですが、完全に逆転しました。それまでは大学進学だけが目的でしたが、「もし進学できなくても、就職できなくても、自分の興味関心だけは誰にも負けない」という気持ちに変わっていって。抽象的な言い方かもしれませんが、人間力や行動力が磨かれたような気がします。生徒会長にチャレンジしたり、日本ではマイナーな「ファウストボール」という球技を始めてみたりしたのも、すべて探究の活動を経て、変化したからだと思います。

特に身近でぼくのことを見てきた両親は、「探究活動に取り組んで、変わったね」と言います。以前は、できるだけ周りと同じことをやろうとしていました。また、幼少期は吃音症もあり、人前に出ることをできるだけ避けていました。そんなぼくが、初対面の人にAEDの設置を提案したり、大勢の前で取り組んできたことを発表したりしていて。「自分がやってきたことを他の人にも伝えたい」という気持ちを抱いていたことで、気が付いたら人前で話すことも恐くなっていました。

地域のドラッグストアで説明をする恩田さん。AEDを新たに設置するだけではなく、既存のAEDを24時間使える形にするための提案も行った

ーさらには進路選択においても、探究の授業が大きなきっかけになったと聞きました。 

高校2年の3学期頃、担任の先生との二者面談で総合型選抜(旧AO入試)での大学受験を勧められました。

きっかけは学校代表として、カタリバが主催する全国高校生の探究活動発表の祭典「マイプロジェクトアワード2019」の地区大会である関東Summitに出場できる機会を得たことでした。「ぼくが取り組んできた活動を総合型選抜という入試方式で大学にPRする方法もある」ということで先生が勧めてくれたんです。正直、一般入試しか考えていなかったので「まさか」と思いましたね。マイプロジェクトアワードについてはその後全国Summitにも出場できました。自分の活動を発表できる場がまたあることも嬉しかったし、さらに総合型選抜用の書類や面接で取り組んできた活動をアピールできる。「自分がやってきたことは間違っていなかった」とほっとしました。

入試では面接官から「この活動をひとりでやったのはすごい」や「課題解決のプロセスがいい」といった反応もあって、合格という結果ももちろん嬉しかったけど、それ以上に活動自体を評価してもらえたことで自信を持てましたね。活動中は「大学入試に役立つはず」なんて考える余裕はこれっぽっちもなかったし、こんな展開が待っているなんて思いもよりませんでした。

ー大学進学を引き寄せただけではなく、最終的には地域に400台のAED設置が決定しました。要因はなんだと思いますか?

強いて挙げるとしたら「周りに流されない」ということかもしれません。自分が思ったことを曲げずに貫き通した。笑われたことも、馬鹿にされたことも、現実的に不可能だと思われることたくさんあったけれど、「防災」という幹だけは曲げなかったから、「AED設置」という枝葉が芽吹いたんだと思います。

「マイプロジェクトアワード2019」関東Summitに出場した際の恩田さん

ーありがとうございます。では、最後に大学での目標を教えてください。 

慶應義塾大学環境情報学部へ進学するのですが、防災×まちづくりというテーマで研究をしていきたいと思います。今までの探究での活動の集大成というか。高校に入学した頃は、大学では航空系のことを学ぶか体育の教員免許を取りたいと考えていたので、これも大きな変化ですね。

いずれは地域の小中学生専用の防災カリキュラムをつくったり、高校生たちの「総合的な探究の時間」のサポートをしたりしていきたいです。いま新たに「STEAM(スティーム)教育」の重要性が叫ばれていますが、防災やまちづくりは誰しもが当事者なので、題材にしやすいと思うんですよね。自分がやってきたことを次の世代に繋いでいけるように、がんばりたいと思います。

高校時代に「総合的な探究の時間」に出会い、防災をテーマに活動に取り組んだ恩田さん。探究活動に取り組んだことで「以前よりも物事を深く考えるようになり、ものの見方が変わった」と語る。これからの恩田さんの活躍が楽しみであると同時に、こうした学びを経験した高校生が今後ますます増えていくのかと思うと、どんな景色が社会に生まれていくのかとても楽しみだ。

―写真 1~4枚目は恩田さん提供


マイプロジェクトアワード2020全国Summit
一般観覧者を募集中

今回インタビューを行った恩田さんのように実践型探究学習を実行した全国の高校生が、地域や学校といった枠組みを超えて一堂に会しプロジェクト活動を発表する、日本最大級の学びの祭典「マイプロジェクトアワード」。カタリバが2013年度より主催するこの「学びの祭典」は今年度で8回目を迎え、4,800プロジェクト以上・13,600人以上の高校生からのエントリーが集まりました。

3月には、全国各地の地域Summitから推薦を受けた48プロジェクトが「学びのロールモデル」として全国Summitに集結し、それぞれの取り組みを発表予定。そのうち、ベスト6のプロジェクトが発表を行い、文部科学大臣賞をはじめとした受賞プロジェクトが決定するDay2(3/21(日))の様子を、オンラインで生配信します。現在、一般観覧(オンライン)も募集中(無料)。全国の高校生が本気で取り組む実践型探究学習に関心のある方は、下記よりお申し込みください!

■配信日時:
全国Summit DAY2
開催日:2021年3月21日(日)
時 間:9:30-17:30

 ■お申し込み(締め切り:3/19(金)18:00)
https://forms.gle/vizZQEMJiMBwyyyr6

Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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