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あの日13歳だった少女は、2人の息子の母になった。311から10年間。

vol.186Voice

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category #代表のつぶやき

writer 今村 久美

あの日から、10年目。震災をきっかけに、宮城県女川町と岩手県大槌町でコラボ・スクールという放課後の居場所を立ち上げたカタリバ。両拠点あわせて1179名の子どもたちを迎え、進学したり、地元に就職したりする姿を見守り続けてきました。

そこで出会った子どものひとりである、大槌町出身の花さん(仮名)の話をしたいと思います。

2011年12月に、最初は町内のふれあいセンターで開校した、大槌臨学舎

遺体安置所で祖父母を探した、13歳の少女

震災が起きたとき、花さんは中学1年生。お父さんお母さんと母方の祖父は助かったものの、父方の祖父と祖母、母方の祖母との再会は叶いませんでした。

「遺体安置所をまわり、家族を探しました。父方のじいちゃんは綺麗な姿で発見され、母方のばあちゃんは1ヶ月後くらいに見つかりました。父方のばあちゃんは行方不明のままで、がれきの中から見つかった免許証を、じいちゃんを納骨するときに一緒に入れました。誰だかわからないようなご遺体の顔を、ふとした時に思い出します」と、花さんは当時を振り返ります。

家族だけでなく、ついさっきまで一緒にいた同級生の友達も、花さんは亡くしました。4月末に学校が再開されるも、家族を失ってどうしたらいいかわからないような子達がたくさんいました。

「10年経つけれど、『行方不明のままの母(父方の祖母)を早く探してあげないと』と、遠方の親戚は今もまだ思っています。父も、悲しいけど口に出せない。『辛い』と言える人は強い人で、悲しみを外に出していない人が、まだまだいる。感情を外に出せる機会がもっとあったら…と思います」と、彼女は話します。

この頃、学校には行かずに家で過ごしたりすることもあったそう。さまざまなショックが積み重なる中で、もとのような日常生活を送っていくのは、13歳の子どもには難しかっただろうと思います。

目を合わせたがらなかった、”やんちゃ”な少女

コラボ・スクールに来たのは、彼女が中学2年生の時。2011年度は受験を控えた中学3年生のみをまず受け入れていましたが、2012年度から中学2年生も受け入れはじめたタイミングでした。

マスクをいつも着けていて、目をまっすぐ合わせたがらない。それが私の最初の印象でした。

「私の住んでいるとこは田舎だからか、学校から帰ったら、家か友達の家にいく。塾とかそういうものに通ったことがなくて、コラボ(コラボ・スクール)には興味本位で行くことにしました。震災後は学校に行くのが面倒でサボることもあったけど、コラボ・スクールはどんな私のことも、スタッフの人たちに嫌な顔をされることは一度もなくて、ただそこに来ただけでもすごく褒めてくれた記憶があります。ここにはいていいんだと思えました。いつも優しくて、褒めて伸ばして、まじめな話もわかりやすくしてくれるスタッフさんたちでした」と当時を振り返って話します。

小中学校の多くが被災し、仮設住宅の中で勉強のなかった子どもたちのために、お寺をお借りしてコラボ・スクールを開催していた

大槌町の魅力を発信するマイプロを立ち上げ

高校受験も乗り越え、2013年3月にはカタリバが毎年年度末に開催した「やくそく旅行」に参加。東京で、他の被災地から来た子たちと一緒に、社会課題の現場と向き合う様々な方々と対話したり、様々な人生の先輩の話を聞きながら、「私のなりたい大人」について考えます。そして旅の最後には、寄付で支えてくれる方々に、いま感じていることを等身大で語る側になる。そんな旅行です。

東京での旅行を楽しく過ごした花さん。帰ってきたあとは、「目の前のことにもっと向き合った方がいいのかな」と話してくれました。勉強は好きそうではありませんでしたが、だんだんとコラボ・スクールに顔を出す頻度も増えてきました。

祖父母が喫茶店をしており接客が好きだった花さんは、通信制高校へと進学しました。アルバイトをしながらコラボ・スクールを利用。「たくさんの人と繋がり、たくさんの人を巻き込みたい」という思いを形に、小さなマイプロジェクトを立ち上げ、コラボ・スクールの後輩達とも一緒に大槌町の魅力をSNSで発信する取り組みをはじめました。

高校を辞めそうになったこともありましたが、「高校は出よう。一緒に頑張ろう」と約束していました。

花さんに伴走し、定期的に連絡をとり続けたカタリバスタッフ・加賀。現在は東京に戻り、アダチベースの拠点長として働く

 在学中に妊娠・出産するも、無事に卒業

しかし高3の春過ぎから、花さんはコラボ・スクールにぱったりと顔を出さなくなりました。気にかけながらも夏になり、ある日、花さんの中学校の担任の先生づてに、花さんが妊娠していることを知らされました。

「最近どう?」と連絡しても、自身の妊娠のことには触れない花さん。本人の気持ちを尊重しながら、妊娠のことには触れずに、「気にかけているよ」というメッセージは定期的に伝えていました。「3月に卒業証書持って行きます!」とLINEは来たけど、本当に卒業できるのか、内心では心配でした。

その後、花さんは在学中に出産。産後1ヶ月が経った頃に家に行かせてもらい、赤ちゃんを抱っこさせてもらいました(記事の最初にあるのは、そのときの写真です)。パートナーもきちんと花さんやお子さんのことを考えてくれる方に見え、内心ほっとしたのを覚えています。

「ママになっても行っていいのかな?」というので「いいにきまってる!」と伝えたら、嬉しそうにコラボ・スクールにもまた顔を出してくれるようになって、3月には約束した卒業証書を持ってきてくれました。

ドラッグストアで働きながら、息子2人を子育て中

「若いお母さんも大槌にはいるし、18歳で出産というのも心配の声はあまりなくて、みんな応援モードでした。今は次男も生まれて、子どもが2人います。子育ての方向性が違ったりで旦那とケンカすることもあるけど、夫婦ってそういうもんなのかなって思います」と、花さんは話します。

今は子どもを保育園に預けながら、地元のドラッグストアでオープニングから約4年ほど働いているそう。子どもの熱が出たときは仕事を抜けて迎えに行けたりと、育児に理解のある上司もいるそうです。

「私は出産もあって進学はしなかったけれど、カタリバに出会ってからは『大学に行ってみるのもアリかな』って思うようになりました。息子には、したいことがあればできる環境作りをしてあげたいし、したいことがもしなかったら『大学に行ってみて』と言いたいな」。花さんはそう話してくれました。

子どもだった彼女が、次の世代の子どもを支える側に

花さんをはじめ、「今、幸せなのはコラボ・スクールで過ごした時間があったから」と、言ってくれる子どもたちがたくさんいます。

でも、カタリバこそが、東北に育ててもらったと私は思っています。多くの悲しみがあったけれど、時間をかけてそれを乗り越え、ゆっくりと強さに変わっていく。その姿を間近で見せてもらったのは、私やカタリバのスタッフでした。

2018年の熊本地震の時、花さんはカタリバに寄付をしてくれました。「今まで無償でたくさんの事を教えてもらったから、働いてる身として当たり前です。ほんの少しだけど、熊本の子ども達のために何かしたい。見て見ぬふりはしちゃダメだから」。そんな言葉が添えられていました。

”支えられる子ども”だった彼女が、”次の世代の子どもを支える側”に回った。そのことに、胸がいっぱいになりました。

震災の悲しみは、強さへ。どんな悲しみや辛い経験も、その子ども自身の力を信じて、声をかけながら待ち続ける。そうした姿勢を持ちながら、これからも東北の子どもたち、そして全国の子どもたちを見守り続けていけたらと思います。


 

▶東日本大震災発災10年によせて、この10年の活動をまとめた活動レポート「カタリバが、子どもたちと過ごした10年間」を公開しました。
震災から10年経った子どもたちの姿をまとめたインタビューや、コラボ・スクール卒業生アンケート、これからの東北での活動などをまとめていますので、こちらもぜひご覧ください。
https://www.katariba.or.jp/news/2021/03/10/29687/

Writer

今村 久美 代表理事

79年生まれ。岐阜県出身。慶應義塾大学卒。NPOカタリバ代表理事。ここではゆるくつぶやいていきます。

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