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「人生のビジョンを実現するために選んだ道」25歳の彼が国際NPOからカタリバに転職したわけ/NEW FACE

vol.055Interview

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。NPOへの転職も震災以降増え、カタリバにも、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナー、多様なバックグラウンドを持った人材が毎年転職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、転職という人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

2018年12月にNPOカタリバに転職してきた延岡。前職では国際協力に取り組むNPOの職員としてカンボジアに駐在していた。

NPOカタリバ入職後は、全国高校生マイプロジェクト事務局に配属。高校生が地域や身の回りの課題解決のためにアクションを起こす実践型探究学習“マイプロジェクト”を広げるために、時には全国を飛び回りながら奮闘している。

入社半年。25歳の選択について聞いてみた。

人とは違う道に進みたいと思って選んだ新卒NPO就職

カタリバに入る前のことについて教えてください。

前職は子ども兵や地雷などの課題に取り組む国際協力のNPO職員として、ウガンダやカンボジアの現場と、広報ファンドレイジングを担当していました。学生の頃からインターンをしていたNPOに新卒でそのまま入社したので、在籍期間は4年くらいになります。直近ではカンボジアに駐在して、地雷原だった村の開発支援、日本でいうまちづくりのような事業を担当していました。

新卒で国際協力のNPOを選んだ理由は何だったんでしょうか。

少しさかのぼるんですが、昔からずっと、子どもが好きなんです。3人兄弟の末っ子なんですけど、親戚まで含めても一番下で弟か妹がほしくて。友だちの家に遊びに行っても、友だちの弟と遊んでいるような子どもでした。もう1つ大好きなものにサッカーがあります。幼稚園からずっとやっていて、子どもの頃はサッカー以外の遊びはほとんどした記憶がないくらいです。

子どもとサッカーが大好き。なので、小3の時の道徳の授業で「インドやパキスタンの子どもたちがサッカーボールを強制的に手縫いさせられている」という児童労働について知って、ものすごい衝撃を受けました。

毎日触っていたサッカーボールは、自分と同世代の子どもたちの強制労働によってつくられている。そんな裏側に初めて触れて、児童労働に強い興味を持つようになりました。そこから、その時は有名なサッカー選手になって子どもたちに何かしたいと思うようになったんです。

児童労働に関わるような仕事がしたいとはいつ思うようになったんですか?

高校に入ってからサッカー選手になることを諦めて、なんとなく大学に進学しました。サークルも合わなくてすぐにやめて、授業とバイト漬けの生活を続けていた大学2年の秋に偶然、前職のNPOの理事長が特別講師で来る授業のチラシをみつけたんです。チラシを見てどこか引っかかるものがあって、その授業を受けてみました。そこで初めて“子ども兵”という問題を知って…授業が終わっても心のなかで大きなモヤモヤが残っていて、ネットで色々と調べていると、“子ども兵は世界最悪の形態の児童労働のひとつ”であることを知りました。

これが小3の時の、「サッカーボールが強制的な児童労働によってつくられている」ことがあると知った衝撃とつながって。この問題に対して何かしたいと思ったので、前職でインターンを始めて、そのまま新卒で就職しました。

新卒で就職する時に、他の選択肢は検討しなかったんですね。

そうですね、何にでもなれる自由なタイミングで、人と違う道にいきたい、という気持ちがありました。例えば大企業に就職して3年たってしまったら、NPOに転職する道を選べなくなるかもしれない。家族ができたり、親に何かあったら、海外で働きにくくなるかもしれない。新卒NPO就職は、人はあまり選ばないかもしれないけど、実は今しか選べない道かもしれないと。

新しいフィールドで、新しいチャレンジがしたい

それから国内の教育に関わるNPOカタリバへの転職。
きっかけは何だったんでしょうか。

カンボジアの事業が、現地スタッフだけで回るようになってきたことがきっかけでした。それはぼくが個人的に目指していた国際協力の姿で、現地の問題を現地の人で解決していけるように意図的に準備してきたことでもありました。現地スタッフ同士のチームビルディングを行って、できることはなるべく任せて。ぼくがやることが現地スタッフからあがってくる報告書を日本語に翻訳して送るとか、そういうことだけになってきた時に、次のチャレンジがしたいと考えるようになりました。

次のチャレンジの選択肢としては、例えば異動なんかもありますよね。
どうして転職を?

タイミング的に異動するという選択肢が難しくて。4年やってきて、他のフィールドに挑戦してみたいという気持ちもありました。

あとこれはなんとなくですが、海外と日本の課題解決の現場が離れているような感じがして。国際協力の現場では、海外ではこんなに深刻な課題を抱えているとなるし、国内だと日本だってこんなに課題があるのにとなる。あまり交わりや協力があるイメージがなかったんです。もっと海外と日本を越境するような人が増えると、問題解決が進むかもしれない。そう思って、次は日本の課題解決に関わってみたいと思うようになりました。

あと日本は課題先進国で、日本の社会課題に何年も向き合っている組織で働くということは世界最先端の現場に関われるということでもあるなと。日本で山積みの課題と向き合ってきた組織のノウハウや手法を、中に入って学んでみたいと考えました。

それで国内に絞って転職活動を始められたんですね。
どういう軸で転職先を探していたんですか?

転職活動の軸は、「主体的に生きる人を増やすための環境づくりにアプローチする」ことでした。

カンボジアの現地スタッフから「自分でやりたい」というスタンスが見えてから事務所全体の雰囲気がどんどんよくなっていった経験があったからです。国際協力の支援を受ける人たちは待ちの状態だと言われることも多いんですが、主体的になることでこんなに変わるのかと。日本でも途上国でも、誰にとっても「主体的に生きる」ことは可能性のある大切なことだと感じて、転職先を考える重要な軸に置きました。

主体的に生きる人を直接的に増やす取り組みではなく、
「環境づくり」という部分にも、こだわりや思いがあるような気がします。

そうですね、環境づくりというのも、ぼくがコミットしたい大切な部分です。前職では、地球全体で見たら1つの国の、小さい地方の、小さい村の中の、数10世帯くらいにしか支援を届けられていないということに、もどかしさも感じていました。例えばこのまま10年活動を続けたとして、社会は自分が体感できるほどに変わるんだろうか?と。

もちろん自分が現場に入るとたくさんやりがいがありますし、現場で活動をする人や組織の存在は、課題解決のうえで必要不可欠です。ただ、自分が生きている間になるべく大きく社会が変わったと実感してみたい、という気持ちもあって…

「社会を変える人を増やす環境をつくる」ことに取り組むことで、はやく大きな変化を起こせるんじゃないかと思うようになりました。

ビジョンへの共感が大きな決め手

最終的に新しいチャレンジの舞台をカタリバに決めた理由はなんだったんでしょうか。

カタリバのビジョンに共感したことが大きかったです。一人ひとりに未来をつくりだす力がある、というのは海外で活動する中で本当に感じたし、外部要因によって発揮できていない人たちがたくさんいることも感じてきました。心から共感できるビジョンを掲げているのがカタリバだった、というのがあります。

いつか子どものために何かしたいという気持ちもずっとありました。「全国高校生マイプロジェクト事務局」のポジションにエントリーしたんですが、マイプロジェクトが目指している社会や、マイプロジェクトに取り組んだ高校生の活躍をみて、こういう子を増やしたいなと思ったんです。

しかも事務局のミッションは、直接高校生と関わるのではなく、マイプロジェクトに取り組む高校生を増やすための環境づくりという中間支援的な位置づけ。「主体的に生きる人を増やすための環境づくりにアプローチしている」という転職活動の軸そのものに当てはまる活動でした。

カタリバに転職して半年。どうですか?
学びたいと思っていたことが学べている実感はありますか?

最初は全国高校生マイプロジェクトアワードという大きなイベントの準備もあって、毎日必死でした。最近は全国各地でマイプロジェクトの仕掛け人になってくれるパートナーの方をどう見つけていくか、すでにパートナーの方々にはどんなサポートをすればいいのか、先輩と一緒に動きながら体感させてもらうことで、かなり勉強になっています。来年度からは1人で担当エリアをもてるように頑張っているところです。

あとは、あの、正直カルチャーショックがすごかったんです。まず日本人がこんなにたくさんいるところで働くのが初めてで…カンボジアでは12人くらいの現地スタッフと日本人2人、という感じだったので。カタリバは組織の規模も大きいので、社内コミュニケーションのとり方は自分の課題だなと思っています。

カタリバの人たちって、振り返りと言語化のプロ集団なんですよ!振り返りも、人に伝えるための言語化も、これまで自分はあまりやってこなかったことなので身につけていきたいです。

全国高校生マイプロジェクトアワード関西大会ではファシリテーターを担当

仕事は人生のビジョン、職業はビジョンに向かうための手段

新卒でNPOに就職し、初めての転職もNPOへ。
延岡さんは、時代の変化をどう捉え、仕事や働くということをどう位置づけて考えているんでしょうか。

時代の変化をテクノロジーの進化という観点で捉えると、NPOの仕事ってAIにかわれない部分をやっている感覚があります。もちろん分野にもよるし、活用はするんですけど。例えば人を育てることは、人にしかできない部分が絶対にあると思うので。AIが不得意な部分をやっているんじゃないかなって。これからもそういう部分を仕事にしていきたいと思っているので、不安はありません。

仕事と職業は、別々に考えていますね。仕事は、人生の変わらないビジョン。そのビジョンに向かっていくために、職業を選んでいるという感覚です。今の職業はカタリバの職員ですが、ビジョンを達成するためのプロセスとして職業を捉えているようなイメージです。なので転職するということにも、不安や抵抗感はありませんでした。もちろん新卒でNPOに就職したので、NPOに転職することも、不安は全くありませんでした笑。

迷いも不安も本当に全くなかったんですね!
明確に人生のビジョンがご自身の中で決まっているからですよね。

どのタイミングで、どんな立場でやるかは分からないですが、マイプロジェクトの海外展開をいつかやりたいと思っています。グローバルマイプロジェクト事務局…?ですかね?途上国の子どもたちにも、マイプロジェクトを届けられたらいいなって。

もう少し近い目標だと、国内の外国にルーツを持つ子どもたちやそのコミュニティに、マイプロジェクトの機会を届けられたらいいなと思っています。マイプロジェクトの経験が自信になったり、活動を通じて関わるコミュニティが広がったりすると思うんです。これからどんどん外国にルーツのある子どもたちは増えていくと思いますし、そういう子たちが地域でどんどんマイプロジェクトをする、それが日本中に広がっていくといいなと考えています。

延岡は、自分のビジョンを達成するために真っ直ぐに進むその道が、カタリバへの転職につながった。例えば1年後、3年後、5年後、どこまでビジョンの実現に近づけたのか、また聞いてみたい。

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Writer

青柳 望美 パートナー

1983年生まれ。群馬県前橋市出身。大学時代は英語ができないバックパッカー。人材系企業数社で営業・営業企画・Webマーケティング・Webデザインを担当。非営利セクターで働いてみたいと考え2014年4月にカタリバに転職。全国高校生マイプロジェクトの全国展開・雲南市プロジェクト・アダチベースなどの立上げを担当。現在は新規プロジェクトの企画や団体のブランディングなどを担当。カタリバmagazine初代編集長、現在はパートナー。

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