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「豊かな人間関係がこの社会には必要」海外留学・商社勤務を経た彼がNPOカタリバに転職したわけ/NEW FACE #003

vol.110Interview

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category #インタビュー #スタッフ

writer 長濱 彩

tag #NEW FACE

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。NPOへの転職も震災以降増え、カタリバにも、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナー、多様なバックグラウンドを持った人材が毎年転職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、転職という人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

2018年9月にカタリバに転職した小泉。前職は株式会社ミスミグループで企画~販売までを手掛けるビジネスマンだった。NPOカタリバに入職後は、困難さを抱える子どもたちのサードプレイス、「アダチベース」で勤務している。

入社約1年。ビジネスセクターからソーシャルセクターに転身したその選択について聞いた。

ビジネスセクターで養った力を
ソーシャルセクターで試したい

前職はどのような仕事をしていたのですか?

新卒で製造業専門の商社、ミスミグループに入り、金型の部品をつくる部署に配属されていました。創業40数年の歴史ある会社です。僕の仕事は、2000ページくらいある商品カタログの中で、例えば100~300ページを担当として割り振られ、その商品についての企画・製造・販売・クレーム処理などあらゆることに対応するというものでした。

かなり幅広い業務に対応されていたんですね。
どういうところにやりがいを感じていましたか。

主な仕事は、すでにある商品を改善・改良していくことでした。その中でも、発生した問題に対してあれこれ試行錯誤して、ステークホルダーと調整をしながら解決していく、「課題解決のプロセス」にやりがいを感じていました。工場で作っているもので問題が発生した時には、すぐに工場と話し、倉庫の在庫に不足があれば倉庫へ赴き、システムにエラーが出たら社内のシステム課、社外に依頼しているものは社外と交渉・・と、とにかく様々な関係者との調整をしながら問題を解決していかなければなりませんでした。

課題解決のプロセスは出口が見えるまでしんどいときもありましたが、自分の働きかけで商品が改善されていく手応えは感じていました。おかげさまで、課題解決力には自信がつきました。

手応えを感じていた最中、ソーシャルセクターで
働きたいと思ったきっかけは何だったんですか?

僕の父が自営業だったせいか、幼い頃からなんとなく自分も将来は経営者や起業家として社会に貢献するもんだろうと想像していました。だからこそ、ミスミに入社するときも、理念である「社員一人ひとりが経営者の視点で働こう」というところに惹かれたのかもしれません。

ビジネスセクターで3年働いて、目の前の課題を解決する力や社会人としての基礎力を身につけられたなと思った時に、今度は“ゼロベース”で課題解決に挑戦してみたいと思うようになって。まだ誰も取り組んでいない課題や、課題と認知されていないような課題を解決する挑戦がしたいなと。

それで、自分がやりたいことは何なのか、社会に対してどのように関わっていきたいのかを、改めて考え始めました。その時に、自分が大学時代に読んだ本のことを思い出したんです。ソーシャルセクターで働く人たちの本で、Microsoftを辞めてルーム・トゥ・リードという途上国の子どもたちの教育支援をするNGOを作ったジョン・ウッドさんや、子育て家庭の支援をしている認定NPO法人フローレンスの駒崎さんなどが紹介されていました。彼らの、「社会課題はこれ、解決するためにこう動く」というシンプルな動機と行動力にとても共感しました。

どうせ生きていくなら、自分の生命を、シンプルに困っている誰かのために使いたい。そう思うようになり、ソーシャルセクターで働くことについて興味を持って、調べ始めました。

留学中、初めて孤独を感じた
体験から学んだ人間関係の重要性


小泉さんが解決したいと考える
明確な社会課題があったのですか?

実は、これというものはなかったんです。ただ、ソーシャルセクターで働いていれば、きっと自分が当事者意識をもつ課題感が掘り下げられて、見つかっていくんじゃないかという期待はありました。実際、社会人にはなったものの、社会のことをよく知らない自分に気付きましたし、社会課題を語るにはもっともっと勉強しなきゃいけないなと思っています。

ただ、誰にでも「利害関係のない人間関係」って必要だよな、と過去の自分の経験から思っていました。

カタリバが大事にしている、
「ナナメの関係」の考え方に近いですね。

過去の経験というのは、
具体的にどんな経験だったんでしょうか。

前職で働いていたときに、休日はカフェに行って本を読んだりコーヒーを飲んだり、ゆっくり自分の時間を過ごしていたんです。何度か行くうちに、常連のおじさんやおばさんと仲良くなって、仕事の話や人生の相談などをするようになっていきました。僕の中では「困った」「どうすればいいかわからない」ということでも、おじさんおばさんの「大丈夫」とか「そういうもんよ」とか「こうしたらいいんじゃない?」という客観的なアドバイスが、僕の悩みをフッと解消してくれたんです。

元々全然知らない人たちだからこそ、気軽に話せたというか。自分とは全く違う人生を歩んできた人たちからもらえる視点が新鮮で、説得力もあり、何度も救われました。その経験から、誰にでもこういう関係って必要だよなと思っていました。後日、カタリバのホームページで「ナナメの関係」というキーワードを見つけた時はピンときました。これだ!と。

それともう一つ、良い人間関係が生きるエネルギーになることに気づいた経験があって。

大学3年のときに、大学のプログラムでアメリカのシカゴに8ヶ月間交換留学に行きました。その滞在中、人生で初めて孤独を感じる体験をしたんです。

それまでの僕は、小学校からの野球仲間と遊んだり、家族も当然のようにいつも側にいて、自分のコミュニティがあたり前にあることに慣れきっていたんですね。でも、シカゴに着いた途端、これまでの人間関係は全てゼロ。この土地では僕のことを知る人はいない。英語も通じない。言いたいことが言えない、知りたいことが知れないというのはものすごくストレスで、思考もどんどんネガティブになっていきました。終いには、自分の存在すら疑うような状態に陥ってしまいました。

それは辛い状態ですね。
留学中に乗り越えることができたのでしょうか。

はい。渡航して1ヶ月くらい経ったある日、大学の食堂でランチを食べようと並んでいたら、給仕をしてくれる女性スタッフが、「いつものでいいの?」と声をかけてくれたんです。「えっ?」と思わず聞き返してしまったのですが、この一言が本当に嬉しかった。自分のことを見てくれている人がいたんだ!と気づいた瞬間でした。

最初は知り合いがいないのは当然、だけど時間をかけて回数を重ねているうちに、人間関係はできていくんだ、そして自分がどうか関わるかでどんな関係も築けるんだと気付かされました。カタリバの「未来は、つくれる」というビジョンにも通じますよね。

単純かも知れませんが、ここから徐々に自信を取り戻し、ポジティブに物事を考えられるようになっていきました。色々なことにチャレンジしていけるようにもなって。例えば、大学にフットサルのリーグがあったんですけど、参加するために僕は新しいチームを作りました。いちからメンバーを集めたのですが、それまで全く知らなかったアメリカ人やメキシコ人が入ってくれたり、そのルームメイトが入ってくれたり・・・友達が友達を呼んで増えていきました。そうするといつの間にか自分の気持も楽になってきて。日本にいる自分と変わらず、自然体で過ごせるようになっていきました。

そんな風に、どん底まで落ち込んだ時に再浮上する原動力となった、「人間関係の豊かさ」は生きるエネルギーになるということを、身をもって体験したんです。

ホンネで語りあえる豊かな人間関係は、
子どもにも大人にも重要なエネルギー

それでカタリバの理念である「未来はつくれる」や
「ナナメの関係」という言葉が響いたんですね。

ビジネスセクターからソーシャルセクターへの
転職に不安や迷いはなかったんですか?

不安や迷いはなかったと言えば嘘になります。特に転職にあたって、ソーシャルセクターを扱っているエージェントが少ないので、自分で探して直接団体にアタックしていったのですが、本当に僕のような経歴の人間が雇ってもらえるのか不安でした。

でも、カタリバの人事の方との面談で親身に相談に乗っていただき、キャリアについて適切なアドバイスも貰いました。そんな雰囲気や姿勢からも、カタリバで働くことに興味を持ちました。

現在は困難さを抱える中高生を支援する仕事をされていますね。
前職とのギャップはどのように埋めていったのですか?

価値観や慣習などのギャップがあることは承知で臨みました。最初の半年間は、中高生を支援する上で自分に足りない知識やスキルをとにかく吸収する期間でした。自分から何かを提案したりアウトプットしたりするには力及ばずで、悔しかったですが、この期間に拠点の価値観や方針を丁寧にすり合わせたことで、その後の半年間がすごく濃密になりました。

実際に10代の思春期世代と関わって、
どんなことを感じていますか?

チャレンジに臆病になっている子が多いなと感じています。僕自身も失敗を恐れて何もしないことを選択するときがありますが、でもそれってもったいないなと思うんです。僕がシカゴでフットサルチームを作ることに挑戦した時のように、失敗を恐れずに「まずやってみること」が大事。たとえ失敗しても、そこから何を学び、その後にどうつなげていくか。子どもたちとの対話や関わりから、少しずつでも伝えていけたらと思っています。

あと、子どもたちに言うからには、自分も色々なことにチャレンジしていかないと、と意識しています。自分の背中を見せながら、彼らの一歩踏み出す勇気を引き出したい。こんな風に「ありたい自分の姿」が見えてきたのは、同僚であるアダチベースのメンバーのおかげでもあります。チームメンバーのおかげで成長できている部分も大きいですね。

チームのメンバーとはどんな風に連携したり、
コミュニケーションをとったりしているんですか?

ここには様々な困難さを抱えている子どもが通ってきています。課題の理由や深刻さなどの状況はそれぞれなので、日々色々なことが起こります。例えば、感情のコントロールが苦手な子が、自分や他者を傷つけるような言動をしたとします。そういうときには、強く「NO」を伝える必要がありますが、子どもから「嫌い」と言われたり無視されたりすることもあって、最初はやっぱりつらかったですね。

でも、上司や先輩に相談するとまずは話をよく聞いてくださり、「子どもの『嫌い』は本心ではない可能性が高い。大人の言葉とはずいぶん違って、その背景に何があるのかを知ろうとするのが大切」と教えてもらいました。

次の日には、別のスタッフが子どもに「昨日、小泉さんがああ言ったのは、こういう気持ちだったんじゃないかな」とフォローしてくれる。1人で対応するのではなく、チームで状況を見ながら相互にフォローし合うという風土があるので、スタッフは安心して本気で子どもと関われます。

重要なのは、一日の終わりに行う振り返りをするミーティングできちんと共有すること。「もっとこうしたほうがよかったね」「これが背景としてあるかもね」と1人の子どもについての「見立て」を複数の視点から形成していくことで、スタッフみんなの視点も合い、同じ方針で子どもと関わっていけます。

こういった毎日の積み重ねで、全く別の業界から飛び込んできて、子ども支援に関しては初心者だった自分も、少しずつ自信を持てるようになってきました。

最後に、今後のビジョンや目標があれば是非教えて下さい。

そうですね。まずはここに来る子どもたちとしっかり向きあいたいです。彼らは自身ではどうにもしがたい状況に置かれていること場合がありますが、でもそれは一生変わらないわけではない。1人でもいい、誰かの支えがあって、失敗しても学んでまた挑戦することができれば、自分で未来をつくっていける。そのサポートをしていきたいです。

それから、子どもにとっても大人にとっても、誰にとっても「ナナメの関係」のような良い人間関係があることで、人生が豊かになっていくと思います。自分の人生を主体的に生きていくエネルギーが湧いてくると思うんですよ。

今、自分の手の届く範囲は拠点にいる約60人の子どもですが、ゆくゆくは、世代を問わず、「ナナメの関係」があふれるような居場所をつくっていけるような人間になれたらいいなと思っています。

小泉が言うように「人間関係が豊かになること」で、生きる意欲や未来をつくり出す創造性が湧き出てくるのが人間なのかもしれない。

ビジネスセクターで働く中で培った小泉の課題解決力が、数年後、社会の課題をどのように捉え、解決に導いていくか、彼のこれからに注目したい。

取材・編集・文=長濱彩
写真=広瀬康一
企画・バナーデザイン=青柳望美

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#01/「人生のビジョンを実現するために選んだ道」25歳の彼が国際NPOからカタリバに転職したわけ
#02/「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ


 

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Writer

長濱 彩 編集担当

1988年生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜国立大学卒業後、JICA青年海外協力隊でベナン共和国に赴任。理数科教師として2年間活動。帰国後、2014年4月カタリバに就職。岩手県大槌町のコラボ・スクールで数学を担当。小学部、適応指導教室の立ち上げにも携わる。第一子出産を機に島根県雲南市のおんせんキャンパスへ異動。不登校支援を行う。第二子出産と夫の転職を機に、沖縄県那覇市へ移住。2019年5月~復職し、在宅でカタリバmagazineの編集を行う。

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