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「大事なのは、一歩ずつ進むこと」10年来大切にしているあの日の言葉/マイプロ高校生のいま#05

vol.245Interview

地域や身の回りの課題など、高校生が自分の関心を軸にプロジェクトを立ち上げ、実行する経験を通じて学ぶ「マイプロジェクト」。マイプロジェクトの活動内容の発表や、次への一歩を考える学びの祭典「マイプロジェクトアワード」が2013年に初めて開催され、まもなく10年を迎えようとしています。また今年の4月からは高等学校での「総合的な探究の時間」が本格実施となり、全国の高校生が探究学習に取り組んでいくこととなります。

いま20代半ばを迎え社会人として活躍する、10年前にマイプロジェクトに取り組んだ高校生たち。高校時代にマイプロジェクトに取り組んだ経験は、いまにどう繋がっているのでしょうか。

特集「マイプロ高校生のいま」では、マイプロジェクトに取り組む高校生だった、彼・彼女に話を聞きます。

「あの日を境に、自分のエネルギーを注ぐ場所がなくなってしまったんです」

そう語るのは、フリーランスのウェブディレクター・阿部愛里(あべ あいり)さん。宮城県気仙沼市に生まれ、幼少期より和太鼓奏者を目指すべく活動していた。しかし、高校進学を目前に控えた2011年3月11日に東日本大震災に被災。生活環境が大きく変わり、和太鼓の活動を自粛せざるを得ない状況に陥った。

そんな彼女が出会ったのは、被災地の高校生支援に取り組むNPO法人のメンバーたち。彼らと出会い、そしてアメリカへの短期留学を経て、気仙沼の観光支援プロジェクトに取り組んだ阿部さん。その活動は、カタリバが主催する「全国高校生マイプロジェクトアワード」で最優秀賞を獲得した。マイプロジェクトに取り組んだ経験は、彼女の人生にどのような影響をもたらしたのだろうか。

大好きな町のために、高校生団体を結成

ーまず、高校1年のときの状況から教えてください。

人生に迷っていました。自分が子どもの頃から打ち込んでいた和太鼓は震災によって活動できなくなってしまったので、高校では女子サッカー部に入りました。でも、和太鼓ほど打ち込めなくて。

もやもやした気持ちを抱えながら過ごしていましたが高2の夏休みに、被災地の高校生を対象にしたアメリカへの短期留学プログラムに参加する機会がありました。渡米して目の当たりにしたのは、同世代の高校生たちが集まって、自分が住む町をよくするためにアイデアを出し合う様子。

「自分と同じ年齢の子どもたちがこんなことを考えているんだ」と衝撃を受けました。特に印象的だったのが、彼らが発した「大事なのは結果じゃない。僕たちが町について話し合うことに意味があるんだ」という言葉です。

つい「自分たちが行動しても何も変わらない」と思いがちですが、「大事なのは町を良くするために話し合うプロセスなんだ」と気付かされましたね。帰国すると、サッカー部を辞めて、気仙沼について話し合う仲間を募ることにしました。

ーどのように仲間を募ったのでしょう?

友人や後輩に直接声をかけたり、活動に参加してくれそうな同世代の情報を教えてもらってメールや電話をしてみたり……20人くらいに声をかけましたが、最初は5人からのスタートでした。

もうひとつ高校時代に出会ったのが、気仙沼の高校生支援に取り組む「認定NPO法人底上げ」でした。最初はテスト期間に学習支援を受けるために通っていたのですが、話をするのが楽しかったので、テスト終了後も足を運んでいて。気仙沼が地元ではない人たちが、気仙沼のために頑張ってくれている姿を見て、高校生団体「底上げYouth(ユース)」を結成。底上げのメンバーにも伴走してもらいながら、活動の方向性を決めていきました。

ーなぜ観光支援に行き着いたのでしょうか?

アメリカ留学に参加した生徒として取材を受ける機会があったのですが、そのときに気仙沼の市場に併設している観光施設を見学したことがきっかけです。市場は復興してすでに稼働しているのに、観光施設は全くの手付かずで。

建物のようなハードをつくることはできないかもしれないけど、プログラムのようなソフト面だったら高校生でもつくっていけるかもしれない。そこで観光支援にフォーカスし、仲間たちと意見交換を繰り返しました。

いろいろとアイデアを出す中で、明治以降の短歌において初めて「恋人」という言葉を使ったといわれる歌人・落合直文さんが気仙沼出身だと知りました。落合直文さんの生家である煙雲館の館長に「気仙沼を“恋人発祥の地”としてPRしていきたい」と相談したところ、すごく歓迎してもらえて。「じゃあこれでやっていこう」と一気にスイッチが入りました。

仲間とともに気仙沼を紹介するリーフレットを作成し、市内各所に贈呈した。この写真は観光協会にお渡ししたシーン(2列目左が阿部さん)

たった一度の人生。後悔はしたくない

ーそして高校3年の12月にカタリバが主催する「全国高校生マイプロジェクトアワード」で最優秀賞を獲得しました。

「底上げYouth」での活動が評価されたことはすごく嬉しかったです。それ以上に大きな変化だったのは、「大学進学したい」という気持ちが自分の中に芽生え始めたこと。

和太鼓奏者を目指していたので、当初は進学を全く視野に入れていなかったのですが、学習支援の場などで年間200人ぐらいの大学生や社会人と会うようになって、「大学って面白そう」「いろんなことができそう」と思うようになりました。

ただ、その年に父を亡くし、震災の影響もあって家庭の経済状況は厳しかった。母も和太鼓奏者になることを望んでいたこともあり、なかなか大学進学の意思を打ち明けることができなくて。話し合うことができず、母から逃げるような生活をしていましたね。

ー高校3年の12月で進路が決まっていないとなると、不安はなかったですか?

不思議と不安や焦りを感じることはなかったんですよね。父が一般的なサラリーマンというよりもかなり自由な人生を歩んできたタイプだったというのもあると思います。52歳で亡くなってしまったのはすごく寂しかったけれど、「あれだけ好きなことをやってきたのなら後悔はないだろうな」と。だから「父のように人生で後悔しないために、ここで妥協してはいけない」という気持ちの方が強かったですね。

ーどのタイミングでお母さまに話したのでしょう?

「全国高校生マイプロジェクトアワード」への出場を終えたタイミングです。アワードに参加したことで、カタリバ代表の今村さんをはじめ多くの方が声をかけてくれて、腹をくくれた感覚がありました。そこで「お金の心配はあるかもしれないけれど、奨学金も利用して進学します!」と母に宣言。すると「やれるだけやってみなさい」とまさかの回答(笑)。もしかしたら、母も私が覚悟を決めたことを感じたのかもしれません。

ただ、現役での受験のタイミングは逸してしまったので、ギャップイヤーを過ごすことにしました。

ー浪人ではなく、ギャップイヤー?

受験科目は全く勉強してこなかったので、一般入試ではなくAO入試を想定していました。ギャップイヤーを過ごすことをTwitterで呟いたところ、日本でのギャップイヤーを推進している団体から寄稿の依頼を受けまして。これまでの経緯を全部書いたらその記事が話題になって、今村さんやマイプロジェクトアワードで出会った大人の方々にも読んでもらえて。

結果として、今村さんからは自宅の一部屋を貸してもらえることになり、仕事はカタリバ理事の方の会社でウェブマーケティングに関わらせていただけることになりました。本当に、拾ってくださったみなさんには頭が上がりません。

気仙沼が大好きな私が、
地元から距離を取ることにした大学時代

ーギャップイヤー期間の仕事はいかがでしたか?

わからないことが多かったですね。ウェブ用語もわからないし、ビジネス用語もさっぱりだったので、都度都度ググりながら働いていました。だから、たぶん役に立っていなかったと思います(笑)。

ただ、周りの方達には恵まれていましたね。会議中に混乱してしまうことがあると勇気を出して「これってどういうことですか?」「なんでこれやっているんですか?」と質問するのですが、「そういう視点はすごく大事だから」「今の質問のおかげで地に足のついた議論ができた」と嫌な顔せずにきちんと説明してくれて。「自分はここにいていいんだ」と安心したのを覚えています。

ーそして、翌年慶應義塾大学へ進学されます。大学での授業はいかがでしたか?

まちづくりに関する授業を楽しみにしていたのですが、期待していたほどおもしろいと感じられなくて……(笑)。授業内容はケーススタディ中心だったのですが、高校時代に気仙沼でまちづくりに関わっていた経験もあり、内容に全然リアリティがないように感じてしまったんです。

取り上げるテーマが最先端ではないように私の目には映ったり、「この本いいよ」と薦めていただいた本は高校生の頃に読んでいたものだったり……だから、「いっそのこと一度気仙沼へ帰ろう」と市の政策分科会に参加したり、夏休みや春休みには「底上げYouth」のときの仲間たちと新しい観光プログラムを考えたりもしました。

ところが今度は、気仙沼の人と自分の感覚のズレにも気づいてしまって。今思うと大学生特有の若気の至りだったのだと思うのですが、まちづくりを通して利益を得ることに意識が向いている私に対して、周りは「自分たちが楽しいと思えることを大切にしよう」というスタンス。お互いに考え方の溝が埋まらずバチバチの関係になって。気がついた頃には「気仙沼が最先端だ」と思っていた私の心が、気仙沼から離れてしまいました。

だんだん私の中で何が正しいのかわからなくなってしまって、精神的にもかなり参ってしまって。一度、気仙沼から距離を取ることにしました。

ーそれからはどのような大学生活を?

複数の企業にインターンとして参加しながら、自分の軸を定めていきました。ギャップイヤー中の職場以外にもウェブ系の企業でウェブディレクターやライターとしてインターンをしたり、まちづくりに取り組む組織で活動したり。そして、大学卒業後、インターン先のひとつだったウェブ制作会社へ入社しました。

これまでも、これからも
「できることから一歩ずつ」

ーそして1年ほどでウェブ制作会社を退職し、いまはフリーのウェブディレクターとして活躍しています。これまでの人生を振り返って、何か感じることはありますか?

運はいい方なのだと思います。被災したり、父を亡くしたり、精神的に参ってしまったりしたことはあったけれど、同世代でこんなに色々な経験をしている人はいないだろうと前向きに捉えていますし、何よりしかるべきタイミングでしかるべきことが起きているような気がしているんです。

ーしかるべきチャンスを掴める内面的な要因があるとしたら?

強いて挙げるとするなら若かったから……? でも、正直そのくらいしかないと思います。フリーランスになってからも、基本的には知り合いからお声がけいただいて仕事しているので。

ー20代とは思えないほど、落ち着いていますよね。

あまり深く考えたことはありませんが、「地に足をつける」ということは意識しているかもしれません。常日頃から「どれだけ目をキラキラと輝かせても、泥臭いことができないと何もできない」と思っている部分はあります。

ー「地に足をつける」というスタイルは、いつ身についたのでしょう?

うーん、いつだろう……。もしかしたら、高校時代の活動かもしれませんね。観光支援プロジェクトが動き出したときにメンバーの1人が「リーフレットをつくろう」とアイデアを出したんです。でも、私は「リーフレット一枚で観光客が来るわけないでしょ」と大反対しました。「ツアーを作るとか、もっと集客できるものを考えないと」って。

すると、伴走してくれていたNPOの人から「ちょっと待って。愛里の言っていることは正しいかもしれないけれど、じゃあ具体的に何すればいいの?ツアーをやるとしても、どうやって作っていったらいいか具体的なイメージはある?」と声をかけられて。それでも私は自分の意見を曲げなかったのですが、最後は代表がわざわざ東京から気仙沼まで3時間ぐらいかけて来て「理想は大事だけど、まずは自分にできるところから一歩ずつやっていこう」と直接説得してくれました。

その時に「東京からそれだけを直接わたしに言うためだけに来てくれた。それくらい一歩ずつ進むことは大切なんだ」と思って。この経験が、「地に足をつける」というスタイルにつながっているのかもしれません。

ー今後、気仙沼とはどのように向き合っていきますか?

正直迷っています。一度気仙沼と距離を置いたことで、高校時代のメンバーとまた一緒に働きたい気持ちも芽生えましたが、気仙沼での仕事以外にもやってみたい仕事がまだまだたくさんある。もしかしたら「何をやるか」ではなく「誰とやるか」が大事なのかもしれません。

幸いなことにフリーランスになってより幅広い経験が積めているし、いろんな人との関係性も構築されてきています。時代的にも、何か始める際に物理的な距離は関係なくなってきている。だから、「気仙沼に帰る」or「帰らない」の二択ではなく、「二拠点生活」や「帰らなくても気仙沼のためにできること」といった視野も含めて検討していきたい。一歩ずつ進んでいきたいと思います。

「もう10年も前のことなので、高校時代の経験がどうつながっているか、自分でもよくわからないんですよね」

この取材を打診したとき、彼女は正直な気持ちを明かしてくれた。おそらく彼女に限らず、多くのマイプロ高校生が同じような感覚を持っているのではないだろうか。
彼女が取材の最後に語ってくれた「一歩ずつ」という言葉と、その裏にあるエピソード。いまの生き方の道しるべとなる言葉や人の存在は、人一倍行動した高校時代があったからこそ、得られたものなのかもしれない。


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Information
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■「全国高校生マイプロジェクトアワード 全国Summit」 観覧受付中

実践型探究学習「全国高校生マイプロジェクト」では、毎年12月から3月にかけて、探究学習に取り組んできた高校生たちが集う、日本最大級の学びの祭典「全国高校生マイプロジェクトアワード」を開催しています。

3月25〜27日に開催される「全国高校生マイプロジェクトアワード 全国Summit」では、各地域SummitおよびオンラインSummitから招待された48プロジェクトの発表を予定しており、3日間にわたるプログラムのうちDAY2(3月27日(日)実施)の様子をYouTube Liveで視聴いただけます。探究学習に取り組んできた高校生の学びの発表に関心のある方は、ぜひご参加ください。

オンラインで開催した2020年度マイプロジェクトアワードの様子

全国高校生マイプロジェクトアワード 全国Summit 概要
●日時:2022年3月25日(金)~27日(日) ※オンラインにて開催
●プログラム(※)
全国Summit Kick off DAY
 開催日:2022年3月25日(金)
 時 間:13:00-18:00

全国Summit DAY1
 開催日:2022年3月26日(土)
 時 間:8:45-18:00

全国Summit DAY2
 開催日:2022年3月27日(日)
 時 間:8:45-18:00
(※)視聴いただけるのは、DAY2の10:10〜16:30となります。DAY1の発表の中から選出された6プロジェクトが発表を行う予定です。

●観覧申込方法:こちらのフォームからお申し込みください(申込締切:3/20(日)中)
●観覧に関する詳細はこちら
●お問合せ:マイプロジェクト事務局(zenkoku-mypro@katariba.net

■2022年度マイプロジェクトパートナー登録も受付中

またマイプロジェクト事務局では、高校生の探究・プロジェクトに伴走される先生方・教育関係者の方に無料でご利用いただける「パートナー登録制度」を用意しています。探究学習をこれから導入したい方も、すでに導入し実践されている方もぜひご検討ください。

●パートナー登録を行っていただくことで、ご提供できるサービス
 ①探究・プロジェクトの実践支援に活用できる「探究ガイドブック」
 ②各地のパイオニアに学び、登録者同士で交流できる「オンライン勉強会」
 ③過去事例をご覧頂ける「勉強会アーカイブ動画/高校生の発表事例動画」

●登録期間:4/30(土)まで
●「2022年度マイプロジェクトパートナー登録」のお申込み・詳細はこちら


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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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