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「正解はない。だから、おもしろい」27歳でまちづくり団体からカタリバに転職したわけ/NEW FACE #005

vol.130Interview

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category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。NPOへの転職も震災以降増え、カタリバにも、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナー、多様なバックグラウンドを持った人材が毎年転職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、転職という人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

東京都文京区にあるb-lab(ビーラボ/文京区青少年プラザ)。カタリバが運営し、月曜から日曜まで利用可能で、自習室、雑談スペース、漫画コーナー、音楽スタジオなど施設の充実ぶりがうかがえる公共施設だ。利用条件は、文京区の中高生であること。まさに中高生たちのサードプレイスだ。

b-labの職員として活躍する山本晃史。まちづくり系の団体で働きながら、他にもいくつかの仕事を並行して持つパラレルキャリアを実現していた彼が、なぜb-labで働く道を選んだのか。

若者が生きやすい世の中を

山本さんがユースワークに関心をもったきっかけから教えてください。

大学在学中ですね。もともとは「NGOの職員になりたい」と思って静岡県立大学の国際関係学部へ進学したところ、ある先生と出会ったんです。その先生は元少年院の教官で、大学で教鞭をとりながら、就労支援を行うNPOを運営していて。先生の影響で学内にも社会活動系のサークルがいくつもできていました。社会活動系のサークルはともすれば「意識高い」と敬遠されることもあると思いますが、多くの学生が在籍していたんですよ。ぼくも国際協力系のサークルに入ることにしました。

そこで出会ったのが、両角(もろずみ)さんというひと学年うえの先輩です。両角さんが静岡の中高生向けにユースセンター*をつくろうというサークルを立ち上げようとしていて。駐輪場で「おもしろいことやるから一緒にやらない?」と声をかけてもらって。その時はよくわからなかったけど「やります」と。
*ユースセンター:北欧を中心に発展している中高校生世代が放課後の余暇活動を過ごす場所

最初はユースワークに関する興味も知識も全くなかったので、とにかく勉強しました。青少年分野の社会問題に詳しい先生を招いて勉強会をしたり、高校生のチャリティー吹奏楽団の手伝いをしたり。とくに吹奏楽団と過ごした半年間は大きいですね。学校も学年もバラバラの混成チームが、練習したり方向性を議論したり、自分たちで進めていく。ときには壁にぶつかったりする。その姿を近くで見ていて、エネルギーの凄さに圧倒されたというか。自分がこの分野に関わると決意するに至った大きな出来事です。

より気持ちが強くなったのは、大学2年の頃です。ユースワークの先進国であるスウェーデンへ行く機会がありました。現地で目の当たりにしたのは、自分とほぼ同い年のひとたちが「同世代のリアルな声を国会に届けていくことが自分たちの役割だ」と語る姿。もう圧倒されてしまって……「同世代なのにすごい」とシンプルに感じました。他にも現地の若者にアンケートを取ったらすごく協力的だったり、デモ活動をするひとたちにすごい寛容だったり。青年事業庁の職員に話を聞い時は「若者は問題ではなく、社会の資源なのです」と言っていました。若者と大人の境界線がすごくフラットなんですよね。

そういう社会を日本でもつくってみたい。そして若者たちが楽しく生きやすい世の中にしたい。そう考えたことが、ユースワークに関わることを志したきっかけです。

誰もが無理なく自然に
社会づくりに関われるように

どういう経緯で現在の仕事に行き着いたのでしょうか?

いわゆるナビサイトに登録して……みたいな就職活動は1度もしていません。どちらかというとサークル活動の延長で決まっていった感じですかね。足がかりになったのは、大学時代の海外でのインターン経験でした。

国際関係学部なので、進路選択時に休学して語学留学へ行く人がすごく多かったんです。一方でサークルの先輩たちは、ユースワークを学ぶためにイギリスやスウェーデンに留学していました。その姿を見て、僕もフィンランドに学びに行きたいと思っていたんですが、当時壊滅的に英語が話せなくて……

海外で学ぶなら留学するしか方法がなかったんですが、ぼくは行けないことになってしまった。一旦3ヶ月フィリピンへ語学留学して、その後ヨーロッパへ行く方法を選びました。ユースセンターへメールでオファーを片っ端から送ったところ、フィンランドのユースセンター1ヶ所が受け入れてくれて。インターンとして働きながら、他のユースセンターにもたくさん足を運びました。このプロセスを経てユースワークへの興味がさらに増して。

あとは「アクティブシティズンシップ」という考え方も学びました。それまでも知ってはいたんですが「とにかくアクティブに社会と向き合おう」という熱量の高い言葉だと思っていたんですよね。ところが、フィンランドで現場に触れて、「普通に暮らしている人たちが、身の回りのちょっと違和感を感じたことや変えたいなと思ったことに対して、声に出してみたり、周りの人を誘ったりしながら動いていく」という自然体のスタンスのことなんだと学んだんです。

全員均等に高い熱量で社会と関わろう!というのではなくて、その人の関心や興味や状況によって、自然体のままで社会に関わって作り手になっていることが大切なんだなと感じて、日本もそんな風になったらなと。フィンランドの滞在は3ヶ月間だったけど、「アクティブシティズンシップ」は日本に戻ってから、自分のこれからを考えるうえでのキーワードになりました。

では、帰国してすぐユースワークに関わろうと?

はい……と言いたいところなんですが、準備段階で怖気付いてしまって。今までは先輩や仲間がいたけど、急にひとりになって不安になってしまった部分もあったかもしれません。団体をつくることもできず、フラフラしていたところ、東京都杉並区の市民自治や市民参画を目指すまちづくりに取り組む団体に声をかけてもらったんです。

「聴き合うことから、まちづくり」というコンセプトを持った団体で、まちの人たちの声を聞くことを大切にしよう、世代も立場も国籍も越えて集まって語り合おうということを大切にしていたので、今後につながる大事な考え方が身につくような気がして、入職を決めました。

あとその団体の代表が、いわゆる副業というか、収入源を1つに頼らずに複数の仕事をするという生き方をしている方で。これってまさに『未来の働き方』だなと思ったんですよ。ぼくもその姿を追ってみたいなと思って、まちづくり団体1つの収入源に頼らずに、複数の仕事を並行して持ちながら、東京のローカル地域で暮らすという生活をスタートさせました。

まちづくり団体以外には、具体的にはどんな仕事を?

色々やっていたのですが、1つは杉並区で外国人支援を行う交流協会です。区内に住んでいる外国人の方の相談に乗ったり、日本語教室や多文化理解のイベントを開いたり、国内外の交流自治体との交流促進を行ったりしていました。この時の上司だった人がきっかけで、20年以上続くジャズイベントを運営する「阿佐谷ジャズストリート実行委員会」にも参加したんですよ。ジャズや阿佐ヶ谷が好きだという地域の人たちが集まってつくるイベントなので、地域の中で交流範囲がすごく広がって。これがきっかけで、自分が住む地域にもっと深く関わっていきたいと思うようになりました。

そんな風に過ごしていたら、まちづくりを通じて関わるようになった人たちと、常設で集まれる場所があればさらに関係性が変わりそうだなと考えて。場所が必要なら、自分の家を居間として開放すればよくない?と思いついて、シェアハウスをつくりました。たまたま、まちづくり団体の取組みに参加していた同世代の中で、SNSで「引っ越したい」「シェアハウス持ちたい」ってつぶやいている人を見つけたんですよ。あまりにもタイムリーだったから、すぐにその2人に声かけて笑。

シェアハウスをつくって居間を交流の場として開放した

逆に、顔見知りが「阿佐ヶ谷を盛り上げる活動を一緒にやってくれる人を探している」とSNSに投稿しているのを見て、チャンスだと思って連絡をとって「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」というイベントを一緒に運営したこともあります。

そうこうしているうちに、仲間になった社会人数名で「都市と地方を仕事でつなぐ、週末移住」というコンセプトで、おもしろいんじゃないかという話になって。ぼくが杉並区の交流自治体と関わる仕事もしていたので、交流自治体の1つの新潟県小千谷市を週末移住先にすることにしました。小千谷市滞在中はデザインの仕事をしたりワークショップを開催したり。週末の空いている時間に行って、スキルを活かして仕事をしていました。小千谷市への週末移住の活動は今も続いています。

こうやって話してみると、色々やっていますね。

未来を担う世代のために

ものすごく忙しい毎日を過ごしていたと思うのですが、なぜカタリバに?

「自分の時間を誰のために使いたいのか」を考えたことがありました。当時の役割は、市民活動の中間支援。アクティブシティズンシップにもつながる大事なポジションだし、やり甲斐はありました。ただ、誰と向き合うことがアクティブシティズンシップの実現につながるのかはずっと考えていて。これからの「新しい社会を担う世代」に自分の人生をかけていきたいと思ったんです。

そう考えたときに思い浮かんだのが、青少年のユースセンターでした。心の奥底にあったユースワークに関わりたいという気持ちが再燃して、「チャレンジしてみよう」と。ただそのときにとあるユースセンターで働いている方に相談したら、「現場の経験がないとユースセンターはつくれない」と言われて。

まずは働きながら現場経験を積もうと、国内にあるいくつかのユースセンターの中から、スキルアップもできそうなカタリバが運営するb-labに決めました。

カタリバのことは知っていたんですか?

もちろん。カタリバは大きいNPOですからね。上京後も中高生向け施設を運営している有志職員による勉強会に参加してb-labを視察したこともあったので……無事入職が決まり、「b-labで働きたい」という希望も通ったのでホッとしました。

実際に働いてみて魅力に感じるのは、チャレンジの機会を与えてくれること。目的があれば外部の勉強会にも行かせてくれる。場合によっては、補助を出してくれることもあります。

この間参加して刺激になったのは、カタリバとフローレンスが合同で開催した新人職員研修に参加したこと。別のNPOの若手職員とチームを組んで、社会課題を決めて、解決する方法を考えるというプログラムだったんですが、そのときのメンバーとはすごく仲良くなって。いまだに定期的に会うし、刺激も受ける。外部に信頼できる仲間ができたのは、カタリバのような大きい組織だからこそだと思います。やりたいと言ったことをできる限りカタチにしてもらえる環境だと感じますね。

これまでの経験でb-labの運営にフィードバックできていることはありますか?

大学時代から今までの経験や実践を通じて身につけてきた知識が還元できている感覚はあります。ただ、それよりも嬉しいのは中高生の日常の伴走者でいられることですね。彼らが悩んで、それでも挑戦する姿をそばで見られるのは純粋に楽しいし、やりきる姿には元気がもらえます。

もちろん難しいこともあります。すごく多感な世代に接するので「あの声がけでよかったのか」「このタイミングは間違っていなかったかな」って悩むこともしょっちゅう。でも、いくらぼくらが悩んだところで、進むべき道を決めるのは彼らなんですよね。ぼくらの発言は彼らの人生におけるプラスアルファでしかない。だから、尊重しつつ、彼らから主体を奪わないことが大切なのかもしれません。まだ試行錯誤しているところです。

いつも主語は中高生

山本さんは今後b-labをどんな施設にしていきたいですか?

今よりももっと「中高生がつくるb-lab」を実現していきたいです。中高生ってもっともっとb-labをよくできると思うんですよ。ルールだったり、何かトラブルが起きたときの対処法だったり……彼らの声を運営に反映させる場面はたくさんあると思っています。実際、中高生発の企画もすごく増えてきたんですよ。例え小さなことでも、彼らを場づくりにどんどん巻き込んでいくことで、中高生がつくるb-labをさらに実現していきたいと思っています。

大学生スタッフとともに中高生がつくる中高生のための場をつくる

山本さんは常に主語が「中高生」だということに驚いています。
そのなかであえて「山本さん自身」を主語にするとしたらどんなことがしたいですか?

きちんと仕組み化していくことですね。何から始めればいいのかわからないのが実情なので、中高生と一緒にb-labの次のステージをつくっていきたいと思います。

そのためにはもっと中高生たちとコミュニケーションを取らなければいけないし、より踏み込んだ関わり方をしていかなければいけない。ただおしゃべりするだけじゃなくて。彼らの“心の声”が聞こえたときに逃さないようにしていくコミュニケーションを取っていく必要はあると思います。そういうコミュニケーションばかりだとお互い疲れちゃうので、バランスをみながら。それなら今すぐにでもできそうですし。

もうひとつ、チャレンジという意味合いでは、経済産業省が取り組む新しい教育を考える「未来の教室」という取組みで、カタリバが実証事業の1つに選ばれた「ルールメイキング」プログラムに関わっています。先生や生徒、保護者と学校のルールをつくっていく事業なんですが、個人的には大きな挑戦ですね。日本における学校って、中高生にとっての「社会」なんです。ルールはすぐに変えられないと思いがち。

でも、実際はそんなことないんですよ。だから、特に中高生には「自分たちでつくった、変えた」という経験を積んでほしい。先生や保護者とコミュニケーションを通じて、自分の意見が反映されたという経験を。その経験があれば、いずれ学校を巣立って「社会」の意味が拡張したときにも同じようにやっていける。そのあたりも力になっていきたいですね。

北欧のユースワークに衝撃を受けてから「若者たちが楽しく生きやすい世の中をつくる」ことを志すようになった山本。自分の夢に近づく成長ステージとして、カタリバへの転職を選択した。確かに日本の中高生というのは、誰かが決めたルールのもとに過ごす時間が長く、「自分で考える・自分でつくる」という機会が少ないように感じる。

場所のルールもイベントも、自分たちでつくるという経験をしてb-labを巣立つ中高生たちが、新しく創っていく未来を、山本は待ち望んでいるようだった。

取材・文・写真=田中嘉人
企画・編集・バナーデザイン=青柳望美

この連載の記事
#01/「人生のビジョンを実現するために選んだ道」25歳の彼が国際NPOからカタリバに転職したわけ
#02/「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ
#03/「豊かな人間関係がこの社会には必要」海外留学・商社勤務を経た彼がNPOカタリバに転職したわけ
#04/「いま純粋に毎日が楽しい」27歳で大企業からカタリバに転職したわけ


 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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