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「生の課題に触れられる仕事」高校2年でカタリバと出会った22歳が新卒入職したわけ/NEWFACE #007

vol.149Interview

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category #インタビュー #スタッフ

writer 長濱 彩

tag #NEW FACE

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

2020年4月、カタリバに入職した三浦は、岩手県大槌町にある唯一の県立高校「大槌高校」に、「魅力化推進員」として配属された。東日本大震災や人口減少により廃校の危機に瀕する大槌高校を再生させ、生徒・先生・行政・地域住民と一体になり、新しいまちづくりのモデルに挑戦している。

職員になってからはまだ日が浅い三浦だが、カタリバとの付き合いは長く、学生時代もインターンとしてずっとカタリバに関わってきた。

高校2年でカタリバに出会った彼女が、なぜ22歳でカタリバに新卒入職したのだろうか。

学校の外の広い世界
マイプロジェクトとの出会い

三浦さんは今年の4月にカタリバに入職されたばかりですが、カタリバとの付き合いは長いですよね。2015年に開催されたマイプロジェクト(身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、 探究型学習プログラム)の全国大会(マイプロジェクトアワード)に高校2年生のときに参加し、3位に入賞されています。

元々アクティブに活動する高校生だったのですか?

実はその正反対で、高校1年生まではやる気と希望が持てない(笑)、アクティブとは程遠い学生でした。小学生のときからずっと女子高に通っていて、いつも周りにいるのは女の子。女性としておしとやかに過ごすことを求められる高校でした。でしゃばらず、先生のいうことを聞いている子がえらいという教育の中で、自分から発言したり積極的に行動するなんて考えられませんでした。

そんな三浦さんがマイプロジェクトなどの学校外の主体的な活動を始めるきっかけになったできごとは何だったんでしょうか。

高2の夏、仲の良かった友達がカナダに留学してしまって、寂しい気持ちもある反面、私は正直焦っていました。自分も何かしたい、しなくちゃと思っていたときに、学校の廊下に貼ってあった1枚のちらしに興味を持ちました。「TOMODACHIプログラム」といって、東日本大震災後の日本の復興支援のために生まれたプログラムで、アメリカに3週間滞在しながら、教育、文化交流、リーダーシップといった、日米の次世代のリーダーの育成を目指すための研修なのですが、アメリカに無料でいける!とわかった私は親を説得し、参加することにしました。

参加してみると、プログラムの内容ももちろん面白く刺激的だったのですが、何より衝撃だったのは、積極的に手を挙げてコミュニケーションをとる同世代や女性のリーダーシップを語る教授たちの姿でした。今まで自分が生きてきた世界とのギャップがものすごくて。

堂々と自分の意見を発する彼らの世界についていけない自分へのもどかしさと憧れで自分の心のタンクはいっぱいになってしまって。最終日に、同行していたカタリバのスタッフの前で泣いてしまいました・・

そんなことがあったんですね!
カタリバのスタッフとはどんなことを話したんですか?

そのときの自分の変わりたい、変わらなきゃいけないという気持ちや現実との葛藤をたくさん聞いてもらって。その時嬉しかったのは、共感してもらったことと同時に、「私は私のままでいい」と言ってもらったこと。「そのままのななみでいいんだよ、その上で、チャレンジする気持ちを大切に生きていってほしい」と言われたことがすごく嬉しくて。

このときのことをきっかけに、私の人生は動いていったように思います。

TOMODACHIプログラムから帰国後は、どのように行動されたんですか?

そこからいい意味ですごくパワーをもらって、一緒に行った友達と募金活動をしてみたり、大学生と積極的に交流してみたり、小さいチャレンジをしてみたり。今までの自分では考えられなかった行動が生まれました。学校の外に出ていく楽しさを知ったというのも大きかったです。とにかくやりたいと思ったことに挑戦していきました。

私は宮城県仙台市生まれで、東日本大震災を中学1年生の時に経験したんです。防災や震災の風化について取り組みたかったんですけど、活動すればするほど「自分は何者か」という問いが生まれてきて。仙台市にいたものの、私は実際の被害は受けていないんですよね。でも県外の人からは「被災者」として見られる。どういうふるまいをしたらいいのか、わからなくなった時期がありました。でもこんな立場だからこそできることもあるんじゃないかと思い、「被災者」じゃないけど「被災者」と見られてしまう自分たちのような存在を「中間者」と名づけて、中間者だからできる防災を考えながら、ワークショップを開催していきました。

高校2年生の終わりごろに、マイプロジェクトの全国大会があるから出てみないかとカタリバのスタッフに誘われ、「私の活動ってマイプロジェクトっていうんだ~」という新たな発見をしながら(笑)。プレゼンを作って出場しました。

いざ発表すると、自分のプロジェクトで「何をしたか」ではなく「なぜやるのか」を審査員に追究され、プレゼンも1日の中でどんどん修正を加えて。「え、みんなが聴きたいのそこ!?」という衝撃もありました。当時はまだマイプロジェクトアワードも2回目の開催で、1日に予選~決勝までのプログラムを詰め込んで、すごくハードなスケジュールだったんですけど、その分すごく濃い一日で。

結果、3位に入賞したのですが、これがきっかけでまた、私の人生は大きく動いていきました。

マイプロジェクトアワードで3位入賞を果たしプロジェクトへの想いを語る三浦(2015年)

人生かけて探究したいテーマを
仕事にできるチャンス

今度はどんな風に変わっていったんですか?

アワードやマイプロジェクトを通して出会った人たちからすごく刺激を受けて、私もこんな風に人生を楽しみたいと思い、進路変更を決意しました。それまでは、普通に高校生活を送って、評定を取って指定校推薦で大学行けたらな~なんて思っていたのですが、『慶應義塾大学に行きたい』と強く思うようになりました。

慶應の学生はみんなキラキラ、いきいき、やりたいことをやっているように見えたんです。AO入試に向けての準備もすごく楽しかったし、緊張するはずの30分間の面接でも、教授陣がメモも取らずに対話してくれて、面接中に、「ここに行きたい」と再認識しました。入学してからは、周りの優秀な人たちと比較して落ち込むこともありましたが、大学生活は総じてとても楽しかったです。

慶應大学進学後は、1年生の夏~3年生の終わりまで、カタリバのマイプロジェクト事務局でインターンをされていましたよね。これはどんな経緯で挑戦されたんですか?

当時マイプロジェクトアワードの入賞者たちが参加できる海外研修があったんです。その企画に参加した時にカタリバのスタッフも3名ほど来ていたのですが、夜な夜な今後のマイプロジェクト事業をどうしていくかという話になって。これから全国の高校生にマイプロを広めていく上で、事務局のお手伝いをしてくれないかと誘われたんです。そのときは軽い気持ちで引き受けました。東京に出られるし、交通費出るし、何かと勉強になるし・・と。忙しくはなりましたが、このときインターンとしてカタリバに関わると決めて良かったなと思っています。その傍ら、自分のマイプロも深めていきました。

大学進学後も三浦さんのマイプロジェクトのテーマは防災についてだったんでしょうか。

高校時代のマイプロの延長ではあったのですが、防災のためには「地域づくり」という観点が欠かせないということから、住民がまちづくり・地域づくりに関われる仕組みを整えていくためにはどうしたらいいか、ということを探究していきました。

これはすごくたまたまなのですが、カタリバの拠点がある島根県雲南市に、波多(はた)地区という理想的な地域づくりをしているところがあると聞いて、すごく山奥なんですけど、半年間住み込みで学びに行きました。

そこで目にしたのが、小規模多機能自治というモデルで、集落などの小さい単位で区切って地域の運営組織が自治をしていくんですね。地域のイベントや自治会に参加したり、投票に行くとか住民にとってちょっとハードルが高いようなことも、町にキーパーソンとなる人がいて、その人を起点に、いろいろな人が町に関わりやすくするという仕組みがあって。

そういう地域って、いわゆる過疎地域で、本当にここで人が生きられるのか?と思ってしまうような田舎なんですけど、住民が安心して暮らして、頼れる人がそこにいるという。町への関わりも、自分の生活の一環として当たり前にできるという姿があったんですよね。ずっと考えてきた理想の地域がそこにありました。

三浦が理想とする地域づくりのモデルがある島根県雲南市

その後、カタリバが魅力化に取り組む岩手県立大槌高校の魅力化推進員として大学4年生の時に配属されていますね。

きっかけは、大学3年の2月、大槌町の教育専門官として働くカタリバのスタッフ、菅野さんから大槌に来ないかと誘われました。私がいろいろな人が地域に関われる仕組みづくりを仕事にしたいということもご存知だったので、「大槌でならそれができるよ」と言われたんです。

実はちょっと半信半疑(笑)でしたが、とりあえず行ってみました。その後、自分なりにいろいろ考えて、大槌にいく決断をしました。

決め手になったのはなんだったんでしょうか。

2つあって、1つ目は、私の人生で深めていきたいテーマ、「どうしたら住民が地域に関われるかということを仕組みにすること」を仕事にできると思ったことです。

雲南市の波多地区って子どもがとても少ないんですけど、その子どもたちを地域で大切に育てているんですよね。私と同級生くらいの子が、地域を離れてもすごく地域のことを大切に思っていて、帰ってきたりする。小さいころから地域で子どもを育てるとか地域の息遣いを感じさせながら育てるっていうことがこの小規模多機能自治を加速させる何かになるんじゃないかとずっと思っていて、それを大槌ならば、地域と学校をつなぐ魅力化推進員という仕事ならできるんじゃないかと思いました。

2つ目は、東北に帰りたかったというのがあります。高校卒業してから東京に出ていたので、いつか地元に近いところで仕事をしたい。この2つが決め手でした。

「生の課題に触れられる」
カタリバの魅力

三浦さんは今年4月、大学卒業を経て、正式にカタリバに入職。引き続き大槌町で魅力化推進員を担っていますが、新卒でのその選択に迷いはなかったんでしょうか。

もちろん迷いはありました。もっと町づくりについて学ぶために、実は慶應の大学院も受けて、受かっていたんです。でも、大槌町に残ることを決めたのは、1年間、学校や子ども、地域に関わって「変わる兆しが見えてきた」というのが一番の理由です。

高校の魅力化プロジェクトが動き出して、先生方や行政、私たち魅力化推進員が一緒に高校の未来について考え、一丸となって行動していく。校内の雰囲気が明るくなってきたりとか、先生方の間にも「とりあえずやってみましょうよ」という雰囲気が生まれてきたという実感もあって。

さらに、大槌は行政との距離が近くて、この間もこんな22歳が町長に報告に行くということがあり。風通しがとてもいいと思います。町との距離は近いし、お互いが本気だし、ここにいれば、自分が何か社会が変わるためのなにかをできるかもと感じられて、「もっと居続けたい」と思いました。

高校とまちづくりにはどんな可能性があると感じていたんですか?

実際に現場にいて「これだ」と思ったことがあって。高校生が地域に出て活動することで、それまで受動的だった地域住民が高校生のために積極的に動き出したんですよね。

例えば、子ども食堂をやっていたボランティアの地域のおばちゃんが、「私たちはこういう仕事をしていて、こういう風に地域に役立っててね」ということを自分でしゃべりだしたんです。高校生に説明したり話したりすることを通して、自分の役割を改めて見返していくっていうか。

この光景を見たときに、「高校生を介して地域の人が町に関わる機会を創り出せる、ずっと探していたことに光が見えてきた」と思いました。でもそれが本当にそうなのか、まだ自信も確証もないし、事例を増やしていかないといけない。この新しい地域づくりの可能性を広げ、深めていく挑戦をしたいと思いました。

それで大学卒業後も「現場で」働くことを選んだのですね。
高校生の頃から見てきた三浦さんにとって、カタリバで働く魅力はなんでしょうか?

カタリバに関わり続ける理由は、「生の課題に触れられる」からです。決して大きな課題解決にはならないかもしれないけど、目の前の「あの子」が困っていることが「見える」のがすごく重要で。

地域に出て探究活動をする、というハードルの前に、そもそも人と喋るのが苦手、という子どもたちの実情や現場の先生方のリアルな声を聴くと、また違った角度で課題解決を試みないといけない。そういう手触り感を日々現場で感じられるのがカタリバに入ってよかったと思う点です。

もちろん将来的には、大学院に行ったり、別の仕事をする可能性もありますが、私は人生かけて学ぶテーマを探すきっかけが大槌にいれば見つけやすい。そんな可能性を感じています。

「学びの機会は、いつでも開かれているんです。」と語る三浦は、きっと10年後も、20年後も、自身のテーマを軸にしたマイプロを続けるのだろう。その輝く瞳からは、悩み葛藤しつつも、自分の未来を自分で切り開く力強さを感じた。

写真=荷川取佑太

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#02/「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ
#03/「豊かな人間関係がこの社会には必要」海外留学・商社勤務を経た彼がNPOカタリバに転職したわけ
#04/「いま純粋に毎日が楽しい」27歳で大企業からカタリバに転職したわけ
#05/「正解はない。だから、おもしろい」27歳でまちづくり団体からカタリバに転職したわけ
#06/「人それぞれの良さを伸ばしたい」26歳で外資系コンサルからカタリバへ転職したわけ


 

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Writer

長濱 彩 編集担当

1988年生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜国立大学卒業後、JICA青年海外協力隊でベナン共和国に赴任。理数科教師として2年間活動。帰国後、2014年4月カタリバに就職。岩手県大槌町のコラボ・スクールで数学を担当。小学部、適応指導教室の立ち上げにも携わる。第一子出産を機に島根県雲南市のおんせんキャンパスへ異動。不登校支援を行う。第二子出産と夫の転職を機に、沖縄県那覇市へ移住。2019年5月~復職し、在宅でカタリバmagazineの編集を行う。

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