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KATARIBA マガジン

“ナナメの関係”はタテとヨコがあってこそ。NPOでキャリアを築いてきた彼の5年間/Spotlight

vol.297Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

起塚 拓志 Takushi Okizuka 学校横断型探究プロジェクト リーダー / みんなのルールメイキングプロジェクト

1995年生まれ、岡山県岡山市出身。広島大学4年目を休学し、カタリバ雲南市教育魅力化チームに実践型インターンとして参加。その後、大槌高校教育魅力化の立ち上げに参画する。大槌での任期を終了し、2021年度から「学校横断型探究プロジェクト」と「みんなのルールメイキングプロジェクト」の2事業に携わっている。学校横断型探究プロジェクトでは事業リーダーとして、小規模校の連携ネットワークを広げるため活動中。

度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。

すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。

シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。

中途入職者が多いカタリバにおいて、新卒で入職し活躍している起塚拓志(おきづか・たくし)。大学時代は教員を志していた彼は、なぜカタリバへ行き着いたのでしょうか。

教員以外のアプローチで教育と向き合うことを決意したきっかけ、教育が社会とつながる意義、カタリバで働き続ける理由を明かした起塚。そこには、固定観念にとらわれることなく教育と向き合う姿がありました。

「“良い子”=正解」ではないと思い始める

——もともとは教員を志して広島大学へ進学されたと聞きました。なぜカタリバに興味を抱いたのでしょうか。

「学校と社会をつなぎたい」という気持ちが芽生えてきたからです。

僕自身は中学のときは生徒会長をやって、高校では野球部で真面目に取り組んで、いわゆる“良い子”として育ってきていたので、大学も同じような感じで過ごしていました。

しかし、大学2年生の頃に、「自分には主体性があるのか」と途端に不安を覚えてしまって。大学では必死になって単位をとっても誰も褒めてくれるわけではありません。学校に順応しながら生きてきたことの是非を考えるようになりました。

ちょうど同じタイミングで、当時受けていた教育社会学という授業で、ある社会学者の文献を読んだところ、「学校があることで、人は主体性をなくしていく」と書かれていて……自分のなかの教育観が音を立てて崩れていくような感覚を覚えました。

——非常に考えさせられる言葉ですね。

一旦「教員になる」という選択肢は横に置いてこれからの人生について模索していたとき、瀬戸内海に浮かぶ大崎上島で「町にひとつしかない高校に、移住者の風も取り入れながら一緒に盛り上げていこう」という取り組みをしている人と縁ができて。

当時大学3年生の夏休みだったので、周りは教育実習に行っていたのですが、僕は実習へ行かずに空いた時間を島で過ごすことにしました。1ヶ月ほどコーディネーターのところでカバン持ちインターンをして、地域と一緒に教育を盛り上げていくことの面白さを知りました。

ターニングポイントは瀬戸内海に浮かぶ島で過ごした1ヶ月間

——大崎上島で感じた、地域と一緒に教育を盛り上げていく面白さとは。

世界が広がるような感覚があったことです。僕自身はずっと学校という世界で生きてきて、外に目を向けることはありませんでした。

大崎上島は広島県で2番目に移住者が多い島で、僕は1ヶ月間シェアハウスに住んでいたのですが、別の地域でみかん農家をやっていた方や京都で伝統工芸品をつくっている会社の社長さん、超有名大学を卒業してサバイバルコーディネーターを目指している方など本当にたくさんの人との出会いがあり、同時に自分が想像していなかった生き方の多さにも驚きました。

自分の凝り固まった考えがほぐされるような感覚があり、「自分も子どもたちが人生の選択肢を増やすきっかけをつくっていきたい」と考えるように。「地域教育 インターン」とGoogle検索したら、一番上にカタリバが表示されて、島根県雲南市の教育魅力化事業がインターンを募集していたので参加することにしました。

大崎上島で過ごした1ヶ月で世界が広がり、カタリバともつながったので、僕の人生のターニングポイントになっていますね。

——カタリバでのインターン経験はいかがでしたか。

特に印象に残っているのは、周りにいた先輩たちのお話です。前職で営業の経験をされた方が多かったので、ビジネスの“泥臭さ”のようなものを教えてもらいました。

同時に、自分のスタンスにも気づかされましたね。先輩たちはある意味ビジネスライクに振る舞って、ときには学校の意思決定プロセスに戸惑いを感じながらも折り合いをつけながらコミュニケーションを図っていましたが、僕はもっと学校側に寄り添いたい気持ちが強かった。どちらかというと“教育側”の人間なんだということも実感しました。今の働き方にも強くつながっている部分だと思います。

立場の違いを活かして、学校と一緒に “教育” をつくっていきたい

——“教育側の人間”を自認されているにも関わらず、あえて教員ではない道を進んだのはなぜですか。

島根県雲南市の教育魅力化事業にインターンとして携わった後に、岩手県大槌町の教育魅力化事業にも参画。そこでの経験を受けて、教員という仕事の素晴らしさを目の当たりにしつつも、教員とは別の立場から関わる人が増えることで、学校にできることが増えると知ったからです。自分は「先生の手が届きづらいところに力を注ぎ、現場の力になりたい」と強く感じました。

現在、東京大学の大学院へ通っているのですが、それも教育行政や学校経営を学ぶためです。先生たちの働き方を含めて教育をよくしていくためには、教育の制度や仕組みを変える必要がありますからね。

——教育への携わり方としては主流ではないように思います。カタリバと大学院の両立に不安はありませんでしたか。

「何かひとつだけ」という生き方が性分に合っていないのかもしれません。大学院だけに通う毎日だったら不安になっていただろうし、学んだことをカタリバの現場で活かせているので、両立をして良かったと思っています。

——カタリバでの現在の仕事について教えてください。

学校横断型探究プロジェクト」と「ルールメイキングプロジェクト」の2つに携わっています。学校横断型探究プロジェクトでは事業リーダーとして、小規模校の連携ネットワークを広げようとしています。ルールメイキングでは、教育委員会との連携や、調査研究関係を行っていますね。

——ご自身の強みについてはどのように捉えていますか。

やはり教育の専門性です。大学、大学院と教育について真面目に勉強してきて、かつ現場との往還のなかで言語化してきた問いや感覚は、外してはいけないとも思いますし、大事にしていきたい部分です。

NPOカタリバでのキャリアを体現したい

——環境を変えつつも、常に自分のやりたいことに向き合っている印象を受けます。

確かに、ずっと熱中できるテーマを追いかけている感覚はありますね。何か先々の見通しを立てているというよりも、そのとき自分がもっているテーマや問いを深く掘り続けた結果、いいタイミングで次のステップになり得るものが目の前にあった……というのが正直なところです。

頭のなかは常に問いに溢れていますね(笑)。「あれも考えたい」「これも考えたい」を追いかけ続けた結果、今のキャリアが築かれました。問いを発するだけでなく、「問いに対する答えが出せているかどうか」にも強いこだわりをもっています。

——常に問いをもち続けられる要因を教えてください。

自分が教育を志すに至った原体験でもあるのですが、人生を通じて「人はどういう出会いや関わりがあれば、より良く生きていけるのか」を考え続けたいという想いが根本にあって。ありがたいことにその問いの答えを探るために、ひとつのテーマに着目して熱中したら、また新しいテーマが出てくるような状態が続いています。

——カタリバに身を置く意義についても教えてください。

カタリバは子どもとの関わり方に対して「ナナメの関係」という言葉を使いますが、学校や行政に対しても「ナナメの関係」の価値を発揮できていると感じます。

学校や行政が“やりたいけど手が届かない”  “リソースが回らない” ような課題を、我々のようなNPOが側面から支援することで解決できたときが、自分は一番楽しいですし、価値を感じてもらっているはず。できることも非常に多いので、もうしばらくはカタリバで頑張りたいです。

そして「ナナメの関係」が成立するのは、縦と横の関係があってこそだと思っています学校や行政といった公的な基盤をつくっている方たちと協働できたときに最も大きなインパクトが生まれると考えているので、お互いの強みを活かしながら一緒に教育をつくっていくという姿勢で仕事をしています。

——さまざまな部署を渡り歩くなかで見えてきたことはありますか。

事業の種を見つけて、形にして、広めていくという一連の過程を経験できたことは大きいですね。雲南や大槌での現場経験は今の僕にとって不可欠なキャリアだったと思いますし、ルールメイキングでは弁護士や教育哲学者といったプロフェッショナルの方たちとの協働を通じ、「社会に広めていくこと」のスケール感を肌で感じることができました。

さまざまな立場の方たちと関わりながら仕事する機会が増えると、自分の引き出しも増えて、成長も感じられるし、「また新しいキャリアにつながりそう」という期待感にもつながります。

僕が入職した当時は「カタリバは数年いる場所ではない」「カタリバはキャリアの中の一ステップにすぎない」と言われていたのですが、今は複数の現場を経験することでキャリアを描きやすくなっています。そういう意味でも、僕がカタリバで成長を体現して、これから入職する方たちに「NPOでもキャリアを築けるよ」と、勇気を与えられるような存在になりたいですね。

取材中に、「『ナナメの関係』が成立するのは、縦と横の関係があってこそ」と話す姿はとても印象的だった。そのような姿勢を崩さないからこそ、さまざまな立場の方を巻き込みながら仕事ができているのではないだろうか。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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