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KATARIBA マガジン

子どもたちの「自分が頑張ればいい」を終わらせたい。ヤングケアラー支援に取り組む職員の原体験/Spotlight

vol.290Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

和田 果樹 Miki Wada キッカケプログラム for ヤングケアラー プロダクトマネージャー

1990年生まれ、兵庫県出身。大学院で教育心理学を学んだ後、新卒でNPOカタリバに入職。コラボ・スクール大槌臨学舎に配属となる。その後実母が難病ALSを発症。地元に帰り半年ほど休職し、ケアラーとして介護をしながらテレワークで働くことを選択した。現在、「キッカケプログラム forヤングケアラー」プロダクトマネージャー。

度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。

すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。

シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。

2020年よりカタリバでは、経済的困難を抱える家庭へオンラインで伴走と学びの機会を届ける「キッカケプログラム」を提供してきた。

プログラムの提供を通じて目の当たりにしてきたのが、参加者の約9人にひとりの子どもが「世話をしている家族がいる」という現状。家族のケアに時間が取られて学べない子どもたち、いわゆる「ヤングケアラー」がいるという事実だった。

2022年2月より、カタリバでは「キッカケプログラム for ヤングケアラー」をスタート。今回は立ち上げから関わる和田果樹(わだ・みき)が、プログラムにかける想い、そして自身の原体験を語った。

大槌の地で
「何も知らなかった自分」と
向き合った

――カタリバと出会ったきっかけを教えてください。

通っていた大学院の近くにカタリバが運営する「文京区青少年プラザb-lab」が入居する教育センターがあって、建物の2階で子どもたちの学習支援を手伝っていたことがありました。当時は「何かやってるな」程度でカタリバについては全く知らなかったのですが……。

その後、研究室で実施していた認知カウンセリングの研究会にカタリバのスタッフが参加していて、私が進路に迷っていたこともあり「1回カタリバの人と話してみない?」と声をかけられました。

後日カタリバの高円寺事務所を訪れて数人のスタッフと会話するなかで、「一度、大槌(岩手県)の『コラボ・スクール大槌臨学舎』を見に来ませんか?」と聞かれて、二つ返事で「行きます」と答えました。それが、カタリバとの最初の関わりです。

――大槌へ向かうことに思惑はあったのでしょうか?

何もなかったです(笑)。「声をかけてもらったから、飛び込んでみよう」と。1週間後ぐらいには見学に向かっていました。「何かあるかもしれない」と。

――大槌の現場を見て、何を感じましたか?

「私は何も知らなかった」ということを思い知らされたような気がします。

初めて大槌に降り立った当時は、震災の爪痕が色濃く残っていて、盛り土や道路の工事が進むなか、仮設住宅が立ち並んでいるような状況で、東京とは全く違う風景が広がっていました。「こんな環境で子どもたちは学んでいるのか」と。

大学院では認知心理学の知見を学校現場に応用する実践的な内容に触れていましたが、震災後の大槌は“新たな知見を取り入れる以前”の課題が散見されているような状況。「安心して勉強できる環境がない」「そもそも学習意欲がない」「ロールモデルがいない」という子どもたちがたくさん見受けられました。

彼らの姿を目の当たりにして、圧倒的な説得力があったというか……現場や社会を知らず、家と研究室を往復しているだけの生活を送っていたことに気付かされたような気がします。同時に「私はここで経験を積みたい。その先に何があるかわからないけど飛び込みたい」と思いました。

母親が、指定難病のALS
(筋萎縮性側索硬化症)に

――ところが、ご入職してすぐにお母さまの病気がわかったんですよね。

そうです。病気自体は入職以前から知らされていたようなのですが、私が聞かされたのは入職した最初の夏休みに帰省したときです。外で待ち合わせしたのですが、母親の髪がボサボサで。「どうしたの?」と聞いたら「病気で腕が上がらなくなって、髪をとかせなくなっちゃった」と言われて……「ALS(筋萎縮性側索硬化症)になった」と言われました。

病名自体は知っていたけど、聞かされたときは「大変だな」程度にしか思っていなくて。大槌に戻って上司に話したら「それは大変だ!」「地元に早く帰った方がいいんじゃないか」と私より危機感高く心配してくれました。

ただ、私も「ここで働きたい」という気持ちが強かったので、東北で仕事を続けながら月1回ぐらいのペースで神戸に帰っていました。毎月帰省して母親の様子を見て驚いたのが、進行が予想以上に速かったことでした。前までは手でメールを打っていたのに、翌月には足の指で打っていたり、普通に歩けていたのに、歩行器で歩いていたり……。

目に見えて病気が進行している母親を「できなくなることは増えているけど大丈夫だよ」とケアする一方で、新卒1年目の自分に対しては「周りと同じように成長していかないといけない」という異なる価値観が同時並行で動いていて。当然初めてのことでしたし、「言い訳にできない」と思っていたので辛かったですね。家族と仕事、両方のプレッシャーの板挟みで、いっぱいいっぱいになっていました。

――そのなかで「休職」という決断をされました。

本当はできるだけ長く大槌にいたかった。辛い面はありつつも、子どもたちと成長できている感覚もあったし、自身のキャリアを積みたい気持ちもあったので。

とはいえ、母親に人工呼吸器をつけることが近づいてきたタイミングで「このぐらいの時期になったら実家に戻ります」と上司とは話をしていました。

ところが予定よりも何ヶ月も前倒しで母親の体調が急に悪くなって、子どもたちへの説明などもまともにできないまま「今日の飛行機で帰れ」と上司に背中を押され帰省しました。当時の上司が「あとは俺がやっておくから」と言ってくれたのですが、突然そのときがやってきたような感覚でした。

神戸に到着するや否や救急車で母親と病院へ行きました。初めての重度障がいの介護で夜も眠れず、入退院の手続きや各種制度の申請など本当にやることがありすぎて、しばらくは状況に追いつくことで精一杯。しばらくして落ち着いたタイミングで、母親のこと、残してきた仕事のこと、子どもたちのこと、メンバーのこと、そしてこれからの自分のことへのいろいろな感情が1人では処理しきれなくなって爆発して、人生で一番大泣きしたのを覚えています。

社会とのつながりが途切れてしまったような気がして、「このまま私は忘れられていくんじゃないか」「母親も、私も、誰も悪くないのに、なんでこんなことになったんだろう」と。精神的に大きなストレスを抱えていたことに気付かされました。

カタリバの“課題を見過ごさない
カルチャー”に救われた

――そこから、どのようにご自身と向き合っていったのでしょうか?

楽観的なのかもしれませんが、カタリバで働いていたからか「声を上げれば何かを変えられる」「おかしいことに対しては絶対支援してくれる人がいる」という感覚があって

いろいろと調べてみたら「若者ケアラー」という言葉があり、介護離職が社会問題になっていることを知りました。調べるなかでキャリアを積んでいきたいのであれば今ここで辞めてはいけないと感じて。11月に休職しましたが、翌年の4月に復職することを目標に動き出しました。目標ができると頑張れて、労務に相談しリモートでできる仕事を任せてもらえることになりました。

本当に最初はこぼれ球を拾うような形で少しずつ復職し、並行して介護支援の体制を整えて、9月頃からフルタイムで復職。マイプロジェクト全国事務局にアサインされました。

本当に組織に支えてもらったと思っています。私がひとりで「復職したい」と叫んでいても、組織が柔軟に対応してくれなければ叶いませんでしたからね。課題を見過ごさないカルチャーがあることを身をもって実感しました。

当時はコロナ禍ではないので「全職員がリモートワークを」というような大きな動きをつくることは難しかったけど、職員一人ひとりの抱える課題に対して向き合ってくれるカルチャーを感じられました。同時に、もし同じように悩んでいる職員がいたら、次は自分が還元したいと思います。

――その後、お母さまのご逝去、ご自身の妊娠・出産を経て、新たなミッションを任されました。

マイプロジェクト全国事務局にアサインされて1年半ほど経ったときに母親を看取って、自分の妊娠がわかりました。

再び限られた時間内で働かなければいけなくなって、「これから自分はどうして行きたいんだろう」とキャリアを見つめ直したとき「ヤングケアラー支援」への関心が強くなっていることに気づきました。とはいえ、出産・育児で手一杯だったので、特にアクションを起こしていたわけではないのですが、復職してしばらく経ったタイミングでカタリバの中でヤングケアラー支援のプロジェクトが立ち上がる話を聞き、縁を感じ「やります」とお返事しました。

子ども、そして家族が前を向く
きっかけを

――現在はどういったお仕事を担当されているのでしょうか。

ヤングケアラーと家族に寄り添う支援プログラム「キッカケプログラム for ヤングケアラー」の企画全体を担当しています。ポイントは子どもたちだけではなく、保護者も含めた家族全体に伴走すること。自治体との連携などにも取り組んでいます。

――プログラムの精度としてはいかがでしょうか。

まだまだ開発途上で、各家庭の状況に真に寄り添った支援をどうおこなっていくかが開発ポイントです。今年度は各家庭の抱える課題をより明確に捉え、伴走できる体制を整えていきたいと考えています。

「キッカケプログラム for ヤングケアラー」で提供するプログラム

――やりがいを感じるのはどのようなときですか。

子どもたちだけではなく、ご家族の変化にアプローチできた瞬間ですね。

プログラムに参加いただいている保護者の中には、もともとご自身がヤングケアラーだった方も多く、「自分もそういう生活をしていたから、当たり前だと思っていた」という考えをお持ちのケースも少なくありません。そういった方たちが「子どもたちに日常的に感謝の言葉を伝えていきたい」「これまでは人と相談するのが苦手だったけど、子どものためにも支援に頼っていきたいと思う」といった言葉を口にしてくれるようになったのは大きな変化だと思います。

あるご家族では持病がある妹さんのケアをしていたお兄ちゃんが「もう大変だからやりたくない」とお母さんに話したそうなんです。今までだったら「そんなこと言わずにやってよ」と頼んでいたところ、ご自身が社会福祉協議会へ相談に行って、サポートを受けられる体制を整えたという出来事があって。家族が前を向くきっかけをつくり出せたのはすごく嬉しかったです。

ケアは日常生活に根ざしているので、完全に切り離すことはできません。家族であり続ける限り、ケアは無くならないし、全てを代わってもらうこともできないわけです。だから、家族のケアが必要な状況であっても、安心・安全で幸せに暮らせることが重要だと思っていて。子どもたちの支援には力を入れていきますが、子どもたちが長い時間を一緒に過ごすご家族の変化にもアプローチできた瞬間はやりがいを感じます。

――今後の展望についても教えてください。

ヤングケアラー支援は、教育、生活困窮、不登校、障がい者福祉、介護福祉、医療、外国ルーツなどさまざまな領域がグラデーションのように重なっています。だから、まずはそれぞれの領域に対する知見を深めていきたいですね。

ヤングケアラーはすごく曖昧な存在です。支援を必要としているケースもあれば、なんとかやれているケースもある。ケア自体が問題ではなく、ケアが重荷になることが問題なわけです。私たちが勝手に「困っている人」にカテゴライズして「大変ですよね」とアプローチするのも違うし、かといって静観しているのも違う。スタンスの取り方が難しいからこそ、自分自身でももっと向き合い方を探究していきたい。

今は社会福祉士の資格取得に向けて勉強をしているのですが、あくまでも適切なスタンスを見つける手段のひとつです。子どもたちやご家族が持っている可能性を引き出したり、選択肢を増やしたりすることで、前向きな力につなげていくことが大きな目的であることを見失わないようにしたいと思っています。

「ヤングケアラー」という言葉では括りきれない子どもたち、そして家庭の声と向き合うことを決めた和田。彼女のアプローチによって、ひとりでも多くが「言ってもわかってもらえない」「自分が頑張ればいいだけだから」という固定観念から解放されることを切に願いたい。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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