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KATARIBA マガジン

外国ルーツの子どもたちの「自分らしさ」を取り戻したい。海外・被災地で経験を積んだ彼女の新たな挑戦/Spotlight

vol.319Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

宮城 千恵子 Chieko Miyagi Rootsプロジェクト(外国ルーツの高校生支援) リーダー

1987年生まれ。沖縄と内地のハーフ。新卒一期生として株式会社ジーユーで12店舗の経営や立ち上げに従事。スタッフ育成に携わる中で、自信をもって「自分を語る」ことができる社会にしたいとカタリバへ転職。コラボ・スクール大槌臨学舎で5年半活動したあと、外国ルーツの高校生支援事業の立ち上げに伴い異動。現在はチームリーダーとして、はじめて向き合う課題、生徒、チームメンバーの多様性に戸惑いながらも、本質的な課題解決にむけて奮闘中。

度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。

すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。

シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。

若者支援においてこれまでフォーカスされる機会がそれほど多くなかったのが、外国ルーツの子どもたちだ。

カタリバでは、2019年より外国ルーツの高校生支援に取り組む「Rootsプロジェクト」をスタート。学校や専門家とともに、外国ルーツの子どもたちが抱える学校生活やキャリアに関する課題を解決すべくさまざまなチャレンジを進めている。

Rootsプロジェクトの責任者は宮城千恵子(みやぎ・ちえこ)。現場主義を掲げ外国ルーツの子どもたちに伴走し続ける彼女に、Rootsプロジェクトにかける想いやプロジェクトの全容を聞く。

助けを求めている人たちのために
自分は今から何ができるだろうか

——本題に入る前にカタリバへの入職理由から教えてください。

理由としては、2つあります。

1つ目は海外へ行ったときの原体験です。海外で現地の方たちとコミュニケーションを取っていると、日本のことや自分のことを聞かれるのですが、うまく言葉にできていなくて。

自分なりに考えて決断してきたつもりでしたが、「こんなに考えていなかったのか」「自分で決めたことって何があるんだろう」と自問自答するような状況に陥ってしまったことがありました。「自分で自分の人生を選んでいる」という実感がほしくて、転職を検討しました。

もう1つは、誰かの人生に自信を与えたいと考えたから。前職ではアパレルメーカーの株式会社ジーユーで店舗運営を担当していたのですが、あるスタッフと一対一で話していたとき、社内の接客コンテストで大賞を獲るほど才能もあるのに、「自分に自信がない」と語っていたことが印象的で。誰もがもっと自分に自信を持てる世の中にしたくてカタリバへの入職を決めました。

——カタリバ以外の選択肢はありましたか?

カタリバ一本でしたね。もともと国際協力、特に紛争地の子どもの教育には興味があり、現地に足を運んだこともあって、NGO系の団体も検討していたのですが、まずは日本に軸足を置きたい気持ちがありました。

——決め手はなんでしたか?

きっかけはコラボ・スクール大槌臨学舎を見学したことです。

私は幼少期、祖母から沖縄での戦争体験の話を聞いたときに自分事として受け入れられなかった経験がずっと心の中で引っかかっていて、「助けを求めている人がいたら動ける人間になりたい」と思っていました。それなのに、東日本大震災のときも生活面や精神面の安定を求めて一般企業へ就職しました。

東北のことはずっと心にあったなかでカタリバが現地で活動をしていることも知っていましたが、「自分に今からできることって何があるんだろう」とも思っていました。また、過去のボランティア経験から「被災地に関わるのであれば、当事者になる覚悟を持たないといけない」と感じていました。

大槌の街を案内してもらったとき、コラボ・スクール大槌臨学舎を立ち上げたスタッフから「自分も他のスタッフも大槌の人間になる覚悟でやっている」と聞かされて。「この人たちと一緒であれば私も諦めずに頑張り続けられるんじゃないか」と感じ、入職を決めました。

外国ルーツの子どもたちと出会い
事業の必要性を痛感した

——とはいえ、いきなり教育の最前線へ飛び込むことへ不安はなかったんですか?

これまでは営業の仕事しかやっていないし、学生時代も教育について学んできたわけではなかったので、周りからも「できる?」「大丈夫?」と心配されました。でも、私は「東北に行けないなら意味がないです」と頼んで飛び込みました。

——大槌臨学舎で5年半活動したあと、Rootsプロジェクトの立ち上げに伴い異動されています。なぜ宮城さんに声がかかったのでしょうか。

子どもたちを支援するためには、子どもと関わること(ユースワーク)に加え、学校や行政・専門家との連携した体制をつくることなど様々な役割が求められます。そのような役割を担える経験とスキル、そして知らない事を自ら積極的に吸収していく姿勢を社内で持っている人ということで、私に声がかかったと聞いています。

試験的に始めた事業だったこともあって、「まずは現場を見て、軸となるプログラムをつくってほしい」と言われて、東北から東京へ向かったその足で現場へ入りました。

——現場を見たときの印象を教えてください。

プライバシーの観点からあまり細かくはお伝えできないのですが、事業の必要性を痛感しました。「令和の時代にこれほどまでに学びから排除されてしまっている子どもたちがいたのか」と。

外国ルーツの子どもたちの支援に対して協力してくださる専門家やパートナーの方が増えてきている状況でもあったので、「事業を立ち上げるなら今しかない」と感じました。

外国ルーツの子どもたちの
非正規就職率は
日本人のおよそ12倍

——立ち上げから4年ほど経過しました。現在の仕事内容を教えてください。

3年目までは外国ルーツの子どもたちが多く通う高校で、多様な背景を持つ生徒たちに向けた授業づくりに取り組んできました。現在は企業と連携したプログラムづくりに注力しています。インターンシップという形で企業の方々に外国ルーツの子どもと出会ってもらい、双方が自分たちにできることを考えてもらうプログラムです。

最初の3年間はなかなかハードでした。外国ルーツの高校生世代に対して全国的な実態調査すらされていない状態だったので、現状把握とサポート体制の整備を同時並行でスタートしました。

そもそも「外国ルーツ」といっても、日本生まれ日本育ちの子もいれば、最近来日した子もいます。また、それまで暮らしてきた国も経歴も様々です。定義が難しいなか、現状の把握も難しいわけです。

文部科学省や教育委員会の方々と情報交換しながら、連携校での詳細な調査を行いました。またこの時期に、全国的にも外国ルーツの高校生世代を対象とした実態調査が進みました。ひたすらに種を蒔き続けるような3年間だったと感じています。

——調査から見えてきたことはありますか?

全国的な調査からは、外国ルーツの高校生の、中退率や非正規就職率の高さがわかりました。中退率は日本人のおよそ5倍、非正規就職率は12倍にものぼります。同時に私たちが連携校と実施した調査からは、入学時から早期のサポートを行うことで中退率や非正規就職率を下げることも見えてきました。実際、取り組みから3年で、中退ゼロを達成しています。

一方、次の進路に送り出したとしても進学先や就職先で適切なサポートやケアがないと早い段階でドロップアウトしてしまうこともわかりました。「本人が望むキャリアを実現させたくても、日本社会では外国ルーツの人々に対する理解がまだ浅く、制度も十分に整っていない。彼らの将来の苦労を増やしてしまうのではと思うと、進路指導が難しい」という先生もいました。

——つまり、まだ外国ルーツの子どもたちに選択肢を提示できない、と。

とはいえ、先生たちのことは決して責められません。先生たちは通常の業務に加えて外国ルーツの子どもたちのサポートに必要な情報をいろいろ調べて、フィットしそうな進路を提案する努力をされているわけですから。

「じゃあ、カタリバは何ができるんだろう」と考えると、注力すべきは“出口”です。

進学先や企業側も、大学・大学院から日本に来る留学生ではなく日本の公立学校で学び育った外国ルーツの高校生の存在を“知らないからどうしたらよいのかわからない”状況もあるので、まずは外国ルーツの子どもたちに出会い、お互いを知ることを私たちがサポートできればと思い企業連携プログラムをスタートしました。

そうして大学側・企業といった出口側の方々の見方が変わって外国ルーツの子どもたちの受け入れに前向きになれえば、学校の先生たちも「それなら生徒が希望する進路を実現できるよう背中を押してみようかな」という循環が生まれるはずですから。

「自分を取り戻したような
気持ちになります」

——やっていてうれしかったことを教えてください。

やはり子どもたちに変化が見えたときですね。

異国の地である日本で暮らしていると、「●●人」として一括りにされてしまったり、日本語能力の有無だけで子どもの人柄や能力が判断されてしまったり……それまで母国で成功体験を積んできた子どもたちは、自分が頑張ってきたことが全部リセットされてしまうような感覚に陥ってしまうことがあるんです。

ある子どもはRootsプロジェクトのプログラムで企業の方と話した際に「●●人」ではなく「ひとりの人間」として接してもらえたことで、母国にいた頃に自分が好きだったことや頑張ってきたことを思い出すことができたんです。その時に「自分を取り戻したような気持ちになります」と言ってくれたことがありました。

彼らの瞳に輝きが戻ったような、そんな瞬間が大好きです。

自分を取り戻すことで行動に移せる子どもが多くいるんです。子どもたちが企業の方たちと話した翌日に「これまで内向的だった生徒が、文化祭のクラス委員に立候補した」というようなエピソードはかなりの頻度で起きています。子どもたちがイキイキとした表情に変化するのも嬉しいし、「あの子の新たな良さを発見しました」と先生たちが笑顔で教えてくれるのも嬉しく思います。

企業連携プログラム「Rootsインターン」に参加した生徒たち

——ご自身にとっての学びはありますか?

「多様性の価値」について改めて考えるきっかけになっています。

Rootsプロジェクトには、ルーツや立場が多様なメンバーが集まっています。その結果、当初はストレスが倍増して、「多様性ってこんなに大変なの?」と思ってしまったことがありました。

ある日、チームメンバーにモヤモヤした感情をぶつけたところ、「宮城さんは、わからないことを恐れすぎている気がします」と言われてハッとしました。「多様なメンバーを通して新しい視点に気づけたことに『やった!』と思って前に進んでいけばいいじゃないか」と言われて。

わからないことや知らないことは、決してダメなことではないんですよね。以前は外国ルーツの子どもたちの考えを聞いた時に「それを実現するのは日本だと難しいんじゃないかな」と後ろ向きに捉えてしまうこともあったのですが「私にはない新しい考え方を見つけた!」という気持ちで受け取れば、プラスの発想が生まれてくるようになる。

自然とこれまでの自分の生き方も肯定できるようになって、これからの人生がすごく楽しみになりました。

——素敵なお話、ありがとうございます。最後に、今後の目標について教えてください。

自分たちの活動を持続可能な事業にしていくことです。ボランティアを前提にした取り組みだと、継続が困難になるケースも考えられます。国内には事業性を持たせながら社会課題に取り組む企業も生まれてきているので、ヒントをもらいながら考えていきたいです。

あとは、日常の当たり前でつまずくことを減らしたいです。たとえば行政のWebサイトのユーザビリティを向上させていくこと。母国で暮らしている私でさえ必要な情報に辿り着けないことがあるので、外国ルーツの方であればなおさらだと思います。

活動の中で「誰かにやさしいは、みんなにやさしい」ということを体感する場面が多くあります。逆もしかりで、自分にとっての快適が誰かの快適をうばっていないか?ひとつひとつ丁寧に、身の回りを点検していきたいです。

「明確に『これがやりたい』というよりも、いろいろな現場を見るなかで種が芽吹いてきている感覚がある」。そう彼女は語ってくれた。
自身のキャリアにおいても、ひとつの目標に真っ直ぐ突き進むのではなく、さまざまな出会いを通じてじっくりと自分自身を育てているようだった。「どこで何がつながるかわかりませんからね(笑)」と笑う彼女の表情が印象的だった。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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