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「自分の人生を自ら選択する勇気を授けたい」大手鉄道企業からカタリバに転職したわけ/NEWFACE

vol.171Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

馬場 千寿 Chihiro Baba マイプロジェクト全国事務局

1994年生まれ、大阪府出身。大阪市立大学生活科学部人間福祉学科を卒業後、JR西日本で人事・財務部門などに携わる。大学時代関わった不登校支援がきっかけで、社会人として働く傍ら、地域の方々と繋がっての子どもや保護者の居場所づくりに関わるように。「どんな環境に置かれていても、自分の軸で意思決定し、自分が進む道を選択出来る人を増やしたい」という思いから2020年5月にカタリバに転職し、マイプロジェクト全国事務局にジョイン。社会福祉士の資格も持つ。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

「答えのない課題に取り組む必要性を痛感した」

馬場千寿(ばば・ちひろ)は、自身の転職活動を振り返ったとき、そう口にした。

彼女が新卒で入社したのは、JR西日本。言わずと知れた、わたしたちの暮らしに欠かせない交通網を支える企業だ。人事部門、財務部門で勤務するなかで彼女の心で大きくなっていったのが冒頭の想い。

一般的に見れば順風満帆な人生を歩んでいるように見える彼女に、どんな想いがあったのか。そして、なぜ彼女はカタリバを選ぶことになったのか。

大企業で直面した、大きな壁

ー「答えのない課題に取り組む必要性を痛感した」。その理由から聞かせてください。

JR西日本時代、個人的に大変だったり、壁に感じたりするようなことがたくさんあったからです。当時の仕事内容は、人事系だと社内の研修を企画したり、財務系だと事業の予算計画を立案したりしていたんですが、答えのないことを考えることがすごく大変で。

たとえば、現場で働く若手社員向けの研修を企画したとき。一人ひとりが自身の課題に対して最適なテーマを受けられるような研修を企画したかったのですが、自分の力不足でなかなか実現しなかったんです。プレゼンテーション力が足りなくて、「この研修には、こんないいところがありますよ」とうまくアピールできず、当初は上司や関係者を巻き込めなかった。

そもそも大企業なので、すでに充実した研修制度が整っている……というと言い訳みたいに聞こえるかもしれませんが、新しい切り口を企画することはなかなかハードルが高かったですね。「学生時代にでも、もっと答えのない課題に取り組む経験を積んでおけば」と後悔しました。

ーそこから、なぜ「転職」という選択肢を視野に入れるように?

きっかけは入社から2年経って人事から財務に異動したタイミングで「自分はどのように働きたいんだろう?」と将来を見つめ直したことです。会社の事業内容、方向性などは深く共感していたものの、今後自分のやり方で関わっていけるイメージが抱けなくて。

もともと、わたしは学生時代に福祉を専攻し、学校外でも不登校支援のボランティアに取り組んでいました。それは、幼少期に家族がこころの病気にかかったことがきっかけで、「どんなひとでもがんばれる環境、一歩踏み出せる環境はどうやったら生まれるのか?」という問いを持っていたこと。そしてたわたし自身学校生活において居づらさを感じていた時期があり「学校以外に自分らしくいられる居場所があったらよかったのに」と感じていたことが原体験にあります。

社会人になり、これからのキャリアに悩んでいたとき、再び不登校支援に関するボランティアを始め、不登校の児童のための学習支援やご家族のサポートなどに取り組みました。「先々のことを不安になっても仕方ないから、自分の好きなことを直感的にやってみよう」と行動した結果、たどり着いたのが学生時代にも関わりのあった教育や福祉の領域だったわけです。

具体的な活動は、当時赴任していた広島での、不登校の子ども向けの居場所づくりです。「#不登校は不幸じゃない」というイベントの広島拠点的な立ち位置としてやっていました。不登校の子どもたちのなかには、学校で理解してもらえなかったり、自分の悩みを共有する居場所がなかったりしていて、悩みを感じているひとがたくさんいるんです。

この活動に取り組んでいくなかで、次第に教育の分野で仕事をしたい、という気持ちが強まり、転職活動をスタートすることにしました。

より多くの子どもたちの意思決定力を育みたい

ーカタリバへの入職を決めた経緯について教えてください。

カタリバを知ったのは、2019年8月に参加した教育系のイベントです。自分自身もなにかを変えたいタイミングだったのですが、ちょうどカタリバ代表の今村が登壇していて。彼女の話で「自分がイメージしていたものはここにあるのかもしれない」と感じました。

転職活動では、カタリバ以外のNPOだけではなく民間企業も含めていろいろチェックしていました。ただ、やはり民間企業の事業は「利益を出すこと」が重要で、そうするとアプローチできない層の子どもたちがいることに気がついたんです。親の経済力や教育の関心が高くないと、そのサービスを購入してはもらえないし、届けられない。

一方、カタリバの取り組みのひとつであるマイプロジェクト全国事務局は、ある特定のスキル付与を行なうのではなく、自分の内面と向き合うことや自分の軸をみつけていくプロセスを大切にしています。そのスタンスがわたしにとって魅力的でした。そして、NPOという組織は利益重視ではないから、より多くの子どもたちにアプローチしていける。知れば知るほど、カタリバの志望度は高まっていきました。

ーマイプロジェクト全国事務局を志望した理由を、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいですか?

はい。マイプロジェクトとは、身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、 探究型学習プログラムです。マイプロジェクト全国事務局では、その取り組みを全国に波及するために、全国の高校や自治体などと連携しながら活動しています。

もともとわたしは、子どもたちの意思決定力、自己肯定感を高めるような部分に携わりたい気持ちが強かった。自分自身も転職に悩んだときに踏み出せなかったのですが、もとを辿れば自分に自信がなかったり、「明確な人生の軸がないと転職してはいけない」と思い込んでいたりしたことが原因だったので、子どもたちにわたしのような経験はしてほしくなくて。子どもたちが人生のより早い段階で意思決定する力を育むプログラムとして、マイプロジェクトを推進していくという役割はうってつけでした。

一歩踏み出す勇気を育んでいきたい

ー2020年5月に入職。現在の仕事内容を教えてください。
入職後まもなくは新型コロナウイルスの影響が大きかったので、オンラインで高校生向けのプログラムを企画しました。現在は、N高さんと一緒にやっているマイプロジェクト事業のメンターをやったり、社内の教育コミュニティの運営を担当したり……という感じですね。

また、来年3月に行なわれる「マイプロジェクトアワード」という、高校生たちが学びを共有しあい、そこに社会人がアドバイスをしたり振り返りのサポートをしたりするイベントに向けても、準備を進めています。

ーカタリバでの仕事で難しく感じる部分があるとしたら、どんなところですか?
ふたつあります。ひとつ目は、子どもたちの考えを、聞き手側が言語化し過ぎてしまわないことですね。以前は相手の気持ちや感じていることを、わたしが必要以上に言語化してしまっていたのだと思います。「どういうことを望んでいて、そのためにどこにつまづいているのか」は、本人にしかわからないことです。その答えに近づくためにヒントやパスを出すのがわたしたちの仕事なのですが、聞き手側が言語化しすぎてしまったら、彼ら・彼女らが自分自身で考る余白がなくなってしまう。本当はもっと子どもたち自身が考えて、気づいて、語るべきなのに。そのあたりのコミュニケーションは、普段から現場に出ている先輩方から学ぶことが多くありました。

ふたつ目は、組織内でも言語化されきってはいない組織のカルチャーに対する理解です。カタリバの職員として判断しなければならないときの軸にもなる部分だと感じています。自分自身の理解も深めつつ、一方で、今後組織を拡大していくためには明文化していくことへの必然性も感じています。

ーでは、入職してよかったことは?
こちらもふたつあります。ひとつ目は、マイプロジェクトに参加した高校生たちが成長していくさまを目の当たりにできることですね。発表会への参加を通して自信が芽生えていたり、それぞれに自分ならではの学びを持ち帰ってくれていたりしたらすごく嬉しい。それこそが自分がカタリバに入職した目的でもあるので。

ふたつ目は、同じ方向を目指す大勢の仲間たちの存在を感じられること。前職時代にボランティアをしていた頃は、いくら強い想いを抱いて行動しているひとたちがたくさんいても、今よりもつながりが希薄でした。ところが、カタリバはひとりひとりがつながって大きな渦になっていることを実感できます。それは、カタリバほどの規模のNPOならではだと思います。


ー最後に、馬場さんの今後について教えてください。

いま、マイプロジェクト事務局は過渡期にあり、マイプロジェクトという取り組みを社会へどう届けていくのかを再考するフェーズに入ってきていると感じています。個人的には子どもたちがマイプロジェクトで興味を抱いたテーマと社会との関連性や接合点に気づける場をつくっていきたいと思っています。まだ明確な答えは出ていませんが、この方向性に対して価値を感じてくれる大人、関わってくれる大人を増やしたり、より開けた場を設けたりできないか……など考えているところです。

マイプロジェクト自体は10代を対象とした取り組みですが、10代を終えた大人だって、マイプロジェクトにいつでもアクセスしていいと思うんです。いま参加してくれている高校生はまだマイプロジェクトの価値に気づいていないかも知れないけれど、彼ら・彼女らが大人になったとき「マイプロジェクトってもしかしてこういうことだったのかな?」と気づいて、今度は次の世代をサポートできる仕組みがあったらすごくステキじゃないですか。自分の人生で、一歩踏み出す意思決定をできる勇気。それを社会全体で育んでいきたいと思います。

ー最後に馬場は、「自分が安全だと思う場所を一歩踏み外すことって意外と大事だと思う」と話してくれた。もしかしたら、彼女自身も大企業という“安全”をあえて踏み外すことて、視野が広がったのかもしれない。

自分を主語にしつつも、常に子どもたちにまなざしを送りながら、インタビューに答えてくれた馬場。彼女の存在を心の拠り所にしている子どもたちは、きっといるはずだ。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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