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KATARIBA マガジン

「経験を掛け合わせて、自分の価値を高める」民間企業でキャリアを重ねた彼が、カタリバを選んだわけ/NEW FACE

vol.168Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

山岸 慎治 Shinji Yamagishi 双葉みらいラボ / ふたば未来学園高校支援

1987年生まれ。長野県出身。アメリカの大学を中退後、紆余曲折を経たのちに、映画祭の企画運営業務に携わる。その後、IT企業やベンチャー企業で人事労務を担う傍ら、教育NPOや地方創生ベンチャーのサポートに並行して携わる。2020年4月にカタリバに入職し、福島県立ふたば未来学園中学・高等学校併設の「コラボ・スクール 双葉みらいラボ」にて勤務している。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

海外の大学を中退後、民間企業3社での勤務や、それらと並行する形でNPOへの参画を経て、2020年4月にカタリバへ入職した山岸慎治(やまぎし・しんじ)。

現在は、カタリバが運営する福島県の「県立ふたば未来学園中学校・高等学校」に常駐し、放課後施設「コラボ・スクール 双葉みらいラボ」の運営や、総合的な探究の時間の授業のサポートなどに取り組んでいる。

社会人10年目にして、教育分野に飛び込んだある意味異色のキャリアの持ち主である山岸。山岸は、なぜ教育に関心を抱いたのか。そしてカタリバを選んだのか――

社会のレールから外れた人たちが
輝ける場所を

ー海外の大学進学、映画祭の企画運営業務、大手IT企業、ベンチャー企業と渡り歩き、さらに並行してNPOでも働くというものすごくユニークな経歴に目を惹かれます。これまでのキャリアはどういう軸で歩んできたのでしょうか。

30歳手前ぐらいまでは、「自分のやりたいことかどうか」が軸でしたね。もともとエンタメが好きなので、海外から帰国後は芸能プロダクションや、広告代理店のスポーツイベント事業でアルバイトしていたこともありました。

教育の分野にも、もともと興味があって。ただ、「教育に携わりたい」という意欲よりも「いまのままではいけないんじゃないか」という課題感のほうが強かったかもしれません。また、大学を中退しているため学歴の壁に敗れて就職活動は失敗続き。ようやく決まったと思ったら、東日本大震災で内定取り消しに……。

そういうバックグラウンドがあったからこそ、社会のレールから外れた人生を歩んできた若いひとたちが輝ける場所をつくりたいという気持ちを抱くようになりました。その気持ちは、就職しても心の奥で静かに燃えていたように思います。実際に本業とは別に、教育系のNPOなどでも働いていましたし。

ーでは、前職の退職理由から教えてください。

前職では、ITベンチャーの人事として働いていました。

ただ、ベンチャーは大企業と比べて採用や教育に投資できる予算も少ない。せっかく魅力的な人材と出会ってもビジネス的な素養が備わっていないと「育てる余裕がない」という理由で不採用になってしまうことが何度もありました。当然仕事なので、ドライに向き合わなければならないことは理解しているんですが、ぼくはどこか感情移入してしまって。心のなかのモヤモヤを晴らすために、転職活動をスタートしてみることにしました。

やってみてわかったのですが、転職活動って人生の棚卸になるんですよね。「自分は何ができるのか」「自分は何がしたいのか」など自分の内面と向き合い続け、これからの方向性が漠然と定まってきました。それが「教育×地方」です。先ほどお伝えした教育への関心が大きくなっていたこと、そして長野県出身なのでいつかは地方に移り込んで、地域活性化に貢献したい気持ちがあったことが要因です。

ーでは、なぜカタリバに?

選択肢として「地方の企業に就職して、土日にボランティアで教育系のNPOで働く」と「教育系のNPOに入職する」のふたつがあったのですが、前者は20代の頃経験して不完全燃焼で終わってしまった過去があったので、後者を検討していました。

決め手となったのは、大学時代にカタリバで活動していた元インターン生との出会いです。以前から知り合いで飲みに行ったこともあったのですが、ふたば未来学園の総合的な探究の時間といった先進的な取り組みなどについて話を聞いていて、改めて「ここだ」と。選考でのフィーリングもすごくよかったので、迷わず入職を決めました。

また、選考の過程ではカタリバが運営する「双葉みらいラボ」を訪れ、探究活動に取り組む生徒たちと接する機会もありました。地域を舞台に探究活動に取り組む生徒たちから活動内容を聞くなかで、ぼく自身が日本の教育に対して課題だと感じていた「社会と教育の接続」という点において、ひとつの解決策がここにあるように感じられたことも大きかったですね。

「授業のオンライン化」に
活躍の場があった

ー現在はどういった仕事内容を担当しているのでしょうか?

福島県のふたば未来学園に常駐し、カタリバが運営する放課後施設「双葉みらいラボ」に勤務しています。

ひと言では言い表せられないほど生徒との関わり方は多彩ですね。総合的な探究の時間の授業に先生たちと一緒に入り、生徒の活動に伴走したり、双葉みらいラボにある学習ルームの担当として、大学生ボランティアを通して生徒に勉強を教えてもらう学習会を企画・運営したり。

とくに2020年は新型コロナウイルスの感染拡大により、授業や課外活動などさまざまな場面でオンライン化が起きたので、そのあたりの運用方法も企画・策定しています。オンライン周りのいろいろな機器を設定したり、パソコンやガジェットが苦手な先生の授業に一緒に入ってお手伝いしたり。まさかここで自分の趣味と大手IT企業にいたときに培ったスキルが活きるとは思いませんでしたが(笑)。

ビデオ会議システムを活用した大学生による学習支援。これまでは学校に大学生ボランティアが訪れ学習支援を行っていたが、新型コロナの影響でオンラインでの実施に踏み切った。山岸はプログラム実施に向けた学校との調整や、機器のセッティング等に奔走した。

ー地方での仕事を望んでいたとはいえ、環境も変わって、情勢も大きく動いている状況です。戸惑った部分はなかったですか?

もちろん一般企業とは違いますよね。学校は県の教育委員会や地域のひとたち、生徒の保護者などいままで経験してこなかった人間関係があるので。とはいえ、やることは変わらないと思っています。自分の目の前にあること、できることをやっていくだけ。

そういう意味では、オンライン化の波が来たことはうまく味方につけられたと思います。初めての教育現場で右も左もわからない状況だったところでしたが、オンライン化を推進していくなかで自分の強みも周囲に伝えられて、先生にも頼られて……結果として関係性を築くことができました。

ー勝手な印象なのですが、「教育機関のデジタル化」はハードルが高いような気がしていて……単純に機器を揃えることも大変だし、先生たちのITリテラシーもバラバラというか。そのあたりはどのように目線合わせをしたのですか?

ふたば未来学園中学校・高等学校は2015年に開校し、開校と同時に全国に先駆けて探究的な学びに取り組み始めるなど、先進的で変化の大きい環境だと感じています。そのような学校なので、先生たちも今回のような急激な環境変化にも、多少は耐性があったのかもしれません。

実際、先生たちも新しい知識の習得にもすごく貪欲で、休校で部活がなくなって生まれた時間を、オンライン化のための知識のインプットに充てていたという話も聞いています。先生たちの知的好奇心が日に日に大きくなっている印象を受けるほどです。

若者よ、夢を語ろう

ーこれからの話も聞かせてください。いま山岸さんが乗り越えるべきと考えている課題はどんなところでしょうか。

モチベーションが異なる生徒たち一人ひとりのやる気に、火を付けることの難しさですね。ふたば未来学園は、やや特殊なんです。総合学科の高校で3つのコースがあり、4年制大学への進学を目指す生徒もいれば、スポーツ特待生としてプロの道を目指す生徒もいる。さらに、工業や農業、福祉、商業などの実業系のコースもあります。目指す進路が多様なので、学習ひとつをとってみても意欲は生徒それぞれです。生徒たちと向き合い、それぞれのやる気に火をつけていくこと。それこそが、向かい合うべき課題ですね。

あと、個人的な感覚ですが、自分の夢を語ること自体苦手な生徒が多いような気がしていて。「夢はあるけど、進路選択でラクな方を選んでしまう」とか。もちろん、その選択自体は問題ないんですけど、挑戦したらできるかもしれないのに挑戦しないのはすごくもったいない。そのことはきちんと伝えていきたいですね。そして、ちゃんと自信を持たせてあげたいと思っています。

総合的な探究の時間の授業で、生徒の相談に乗る山岸。

ーでは最後に、今後どういうところに軸足をおいてやっていくのかを教えてください。

軸足……そうですね。個人的な話ですが、ぼくはこれまでも専門性の高い仕事をしていたのは労務周りぐらいで、あとはひと言では言い表せられない幅広い仕事を任されることが多かったんです。軸足らしい軸足はありませんでした。

でも、たとえば1万人のなかで1位になれるようなものがなくても、100人のなかで勝てるものをたくさん見つけていけばいいんです。1/100が3つあれば、1/100×1/100×1/100で1/1,000,000ですよ。そうやって掛け合わせることで自分の価値は唯一無二のものになっていく。授業のオンライン化で、過去のスキルが役に立ったことはわかりやすい例ですよね。だから、あまり「これ!」とは決めずに、いろいろ経験して掛け合わせながらやっていきたいと思っています。

ただ、そのためには知識も不可欠。教育や地域活性化、教育と地域との関わりみたいなテーマは、もっと深めていかなければいけないし、同時にふたば未来学園の取り組みももっと広げていきたい。それによってふたば未来学園のような先進的な取り組みにチャレンジする学校が増えたら嬉しいですね。

「社会人になって一番危機感を覚えたのは、学生時代の勉強と社会人としてのキャリアが全然接続できていないことでした」と明かす山岸。高校時代が大学受験のための勉強になっていること、就職活動では知名度のある企業から選ばれていくことに疑問を感じたという。

もっと10代のうちに地域社会への課題に目を向けていれば、新しい可能性が広がるはず。山岸の挑戦は始まったばかりだ。

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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