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アボリジニの生活支援を経て、帰国した青年がカタリバを選んだわけ/NEWFACE

vol.180Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

後藤 諄 Jun Goto カタリバオンライン事業部 カタリバオンライン for Kids担当

1992年、神奈川県出身。大学卒業後、総合人材サービス会社に就職し人材派遣事業の営業職を担当。退職後、オーストラリアにて先住民族アボリジニの健康促進や生活改善に取り組んでいる団体に入社。帰国後、NPOカタリバに入職。コロナ禍に自宅で過ごす小学生向けのオンラインの居場所「カタリバオンライン for Kids」を担当。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。

大学卒業後、人材業界に飛び込んだ後藤諄(ごとう・じゅん)。

3年後、彼が新たな挑戦のステージに選んだのは、なんとオーストラリアの先住民族・アボリジニの健康促進や生活改善にとりくむ団体だった。言語も文化もまるで異なる環境での生活がスタートした。

そして、1年後に帰国すると、状況は一変。新型コロナウイルスが流行の兆しを見せ始めていたタイミングだったのだ。先行きが不透明な現代。後藤は、自己との対話を通じ、自分の価値観を見つめ直すことに。そして、カタリバへと入職することになる。

人生の転換期に、彼は一体なにを考えたのか。「カタリバへの入職」という結論に至るまでのストーリーを追ってみたい。

アボリジニの村へ渡った、ひとりの青年

ーまずアボリジニのコミュニティで働くことになった経緯から教えていただけますか? すごく思い切った決断のように感じるのですが……。

もともと海外で働くことが夢でした。ワーキングホリデーの制度を活用できる年齢制限だったり、帰国後に転職活動する年齢だったりを考えた結果、人材系企業の退職を決意。「とりあえず3年は働いてみよう」と思っていたこともあり、タイミングとしては最適でしたね。

ー不安はなかったんですか?

あったかもしれませんが、「一歩踏み出してみたい」という気持ちのほうが強かったですね。学生時代にバックパックで東南アジアへ行ってボランティア活動をした経験が忘れられなくて。たとえば、フィリピンに滞在していたときに寝泊まりしていたところには明かりやベッド、シャワーがないんですよ。日本じゃ信じられないじゃないですか。そういう環境に身を置いていると「“生きている”って当たり前だと思っていたけど、当たり前じゃないな」と思うようになって。もっと「自分の常識が覆され、価値観をガラッと変えられる環境に、もっと長く滞在していたい」と思い、海外へ行くことを決めました。

ーでは、なぜアボリジニだったんですか?

オーストラリアは、治安や働きやすさ、あとはぼく自身の語学力などを総合的に判断して決めました。ただ、仕事先はすごく悩みましたね。ワーキングホリデーって、日本食レストランやカフェで働くイメージがあるかもしれないんですが、20代の大切な1年なので「オーストラリアでなければできないこと」に費やしたかったんです。

そこで、いろいろと求人情報をチェックしていたら「先住民族・アボリジニの村で働きませんか?」という広告を見つけて……「ああ、ここだ! ここしかない!」と(笑)。具体的な仕事内容はよくわかりませんでしたが、とりあえず足を運んでみることにしました。

ーすごいフットワークですね(笑)。具体的な仕事内容はどうだったんですか?

アボリジニの健康促進や生活改善のサポートです。アボリジニの方たちもかつては狩猟民族でしたが、時代の流れとともに生活スタイルが変わり、菓子や清涼飲料水などもたくさん摂取するようになって健康状態が悪化してきていたんです。

ぼくはアボリジニ向けに野菜や生活用品を販売している店舗、日本でいうところのコンビニのような場所で接客したりレジを打ったりしていました。

村を訪れた初めての日本人だったこともあってか、最初は無視されたこともありましたが、とにかくコミュニケーションを取るようにしたら、だんだん心を開いてくれるようになって。閉店後に「家に遊びにおいでよ」と招待されたこともありましたし、子どもたちと一緒に遊んだこともありました。最終的には、かなり仲良くなれたと思います。

(アボリジニの村で槍を作る「槍職人」のご自宅を訪ねたときの写真)

教育に関わる意義、そして責任

ー1年後に無事帰国。当時は新型コロナウイルスが流行し始めたタイミングですよね。カタリバへの入職は決めていたんですか?

いえいえ。「日本に帰ってから考えよう」と思っていました。いざ帰国したらコロナウイルスが流行し始めた時期と重なって、さすがにびっくりしましたね。

ただ、予測不可能な現実に直面したことで「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と徹底的に考えるようになりました。おかげで原点回帰できたんですよね。自分が会社勤めのときから大事にしていた「人の人生に寄り添い、その人にとっていいキッカケになってほしい、その人の可能性を広げたい」という想いがいっそう強くなって。

そこで頭に浮かんだのがカタリバでした。カタリバは大学生時代に「ボランティア学」の講義で紹介されたことがあって活動内容は知っていたし、会社員時代にも、社会課題の解決に取り組むソーシャルセクター(NPOやNGOなど)関連のフォーラムでカタリバを見かけて直接話を聞いたことがあったので、一度思い浮かんだら、もう迷いはなかったですね。「カタリバしかない」と(笑)。

ー教育といういままで経験のない業界へ飛び込むことに不安はなかったですか?

もちろんありました。でも、それ以上に、子どもたちの人生に深く関われる仕事への期待感や責任感のほうが大きかったですね。

ぼくは高校時代サッカー部に所属していたんですが、当時の監督から言われた「自分の弱みを克服するのも大事だけども、自分の強みを把握してそれを伸ばすことが大切だ」という言葉がすごく胸に残っていて、いまの軸にもなっている。「人生を変える」なんておこがましいことは言えないけれど、ぼくにとっての監督の言葉のように、ぼくが関わっていくことで彼ら・彼女らの人生にひとつのキッカケを与えられたら嬉しいと思います。

ー選考の手応えは覚えていますか?

手応えはわからなかったですが、漠然と「カタリバで働いている自分」はイメージしていましたね。全く根拠はないですが、選考を重ねるにつれ、カタリバの方向性とぼくのやりたいことが一致しているような気がして……。まぁ、無事に採用されたから言えることなんですけど(笑)。

ー現在は、どういった仕事をされているのでしょうか?

「カタリバオンライン for Kids」を担当しています。小学生向けの“オンライン上の居場所”ですね。子どもたちの意欲と創造性を育むためにプログラムを企画・実践する毎日です。

もう少し具体的にプログラムについて説明すると、たとえば子どもたちにとって気軽に話せる安心安全な場所の「フリートーク」や、専門的な経験を持っていたり職業に就いていたりするひとがプログラムを行なう「師匠プログラム」、子どもたち自身が講師役になってプログラムを実践する「子ども師匠」などなど。子どもたちが気づきを得られるものから子どもたちがやりたいことを形にしたものまで、多岐にわたります。

ぼく自身は、海外旅行が好きなので、その経験をいかして世界の文化や暮らしを紹介するプログラムを企画しています。そのプログラムに参加してくれた子どもたちが、世界に興味を持ったり、「世界中の子どもたちと友達になりたい」といってくれたり、「将来は世界一周をしたい」とキラキラ語ってくれたりするのを見ていると、とてもやりがいを感じます。

子どもたちの主体性を否定してはいけない

ー現在の仕事のおもしろさはどのような点でしょう?

子どもたちの成長が目に見える点ではないでしょうか。保護者の方から「最近明るくなった」というような連絡をいただけると嬉しいですし、何より当初はオンラインでの発信が苦手で画面もオフの状態だった子どもが顔を出して積極的に発信するようになったシーンを目の当たりにすると感動すら覚えます。

ぼくは子どもたちに成功体験をたくさん積んでほしいと思っています。成功体験というと何か大きなプロジェクトを成し遂げるような経験をイメージするかもしれません。でも、「画面オフが画面オンになった」や「失敗を恐れず発言できるようになった」も充分な成功体験だと思うんですよね。少しずつ、一歩ずつで構わないから、徐々に自信をつけて、自分のやりたいことが見つかったとき挑戦できる子どもたちを増やしていきたいと思っています。

ーでは、逆に難しいと感じるのはどのような点ですか?

大きく分けて2つあります。1つは「正解のない仕事であること」ですね。カタリバオンラインは、昨年の全国一斉休校の発令を受けて数日後に立ち上がった、新しいサービス。なのでサービスそのものに対してもまだ正解がなく、みんなで日々試行錯誤を重ねてより良いサービスにしていこう、という段階です。またプログラム企画の観点からいっても、勉強がしたい子、ワイワイと遊びたい子、ゆっくりお話しがしたい子、いろんな興味関心とニーズを持った子どもたちとご家庭に登録いただいているので、ある子どもにとっては価値を発揮したプログラムであっても、別の子どもに同じように価値を発揮するとは限らないんですよね。だから、とにかくいろいろなアイデアを出して、トライ&エラーを繰り返していくしかありません。同時並行で「次これやってダメだったら、次これやろう」と脳みそに汗をかきながら、毎日を過ごしています。

もう1つは子どもたちとの接し方です。年齢も家庭環境も異なる子どもたち一人ひとりと接していくことは、簡単なことではありません。ぼく個人として大切にしているのは、子どもたちを「否定しない」ということ。カタリバが子どもたちにとって安心安全な場所であり続けるために、彼ら・彼女らが発言や行動をしやすい場づくりは最大限心がけています。

ー会社員を経験している後藤さんだからこそ感じるカタリバの魅力はどのような点ですか?

やはり、圧倒的なスピード感ですね。会社だと何か新しいことを始めようとしても「じゃあ事業計画書出して」と言われて、出したら出したで結論まで1〜2週間かかります。でも、カタリバの場合は、「やりたい」と思ったことをすぐにやらせてくれる。意思決定のスピードがものすごく速いです。「子どもたちのために何かしたい」という気持ちの強い方にとっては、これ以上ない環境だと思います。

ーでは最後に後藤さん自身のこれからについて聞かせてください。

そうですね……ぼく自身はあまり先のことを考えずに“いまを生きる”というタイプなんです(笑)。強いてあげるなら、リアルな「場づくり」に挑戦したいです。カフェなのか、コワーキングスペースなのかは決めきれていないのですが、大人も子どもも気軽に立ち寄れるご近所づきあいみたいなことができる場所をつくっていきたいと思っています。いますぐには難しいかもしれませんが、コロナが収束したらチャレンジしたいですね。

 

「一番大事なことって行動していくことだと思うんです」

最後に後藤はそう結んだ。確かに、いくら頭では理解したつもりになっていることでも、行動に移してみるとうまくいかないことは多々ある。逆もまた然りだ。そして、行動するからこそ見えてくる景色も必ずあるはずだ。行動に行動を重ね、カタリバにたどり着いた後藤。これからも子どもたちのために、全力で向き合っていく。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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