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「子どもたちに第三の場所をつくりたい」元新聞記者がカタリバを選んだわけ/NEWFACE

vol.193Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

横田 伸治 Shinji Yokota b-lab(文京区青少年プラザ) ユースワーカー

1993年生まれ。東京都練馬区出身。高校卒業後、東京大学文学部へ進学。在学中はバンド活動やジャズクラブでのアルバイトなどに励む。卒業後は、新聞社に入社し、記者として名古屋、岐阜エリアを担当する。取材で出会ったある出来事をきっかけに転職を決意し、2020年10月にカタリバへ。現在は、カタリバが運営する文京区青少年プラザ「b-lab(ビーラボ)」にて、自習サポートイベント「マナビ場」やスポーツイベント「b-sports」などを担当している。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。

カタリバには、さまざまなキャリアを歩んできたスタッフが集まっている。2020年10月よりカタリバで働く横田伸治(よこた・しんじ)もそのひとり。

大学卒業後、彼が選んだのは新聞社。名古屋、そして岐阜というゆかりのない土地ではあったものの、忙しくも充実した日々を送っていた。しかし、ある出来事をきっかけに「子どもたちには家でも学校でもない、第三の場所が必要だ」と確信し、転職を決意。カタリバの門戸を叩くことになる。一体何が、彼のターニングポイントになったのか。

名古屋、岐阜で過ごした新米記者時代

ー本題に入る前に、横田さんの経歴について詳しく聞かせてください。なぜ新卒で新聞社で働こうと思ったのでしょう?

もともと文章や雑誌に関わる仕事がしたいと思っていました。在学中もWebメディアの編集部でアルバイトしていたこともあり、第一志望は出版社。ところが、応募していた出版社は軒並み不採用になってしまって……(苦笑)。唯一内定をもらえたのが、新聞社でした。

配属先は、名古屋支社。事件・事故の担当記者として、警察からの発表に対して細かく取材して、記事を書くという仕事スタイルでした。テレビドラマにあるような「警察官と仲良くしてもらってネタをもらう」みたいなこともしましたよ。でも、そういう仕事の仕方があまり得意なタイプではなくて。

暇を見つけては、古本屋を取材したり、商店街のちょっとしたイベントに足を運んだりしていました。幸いなことに部署も「職務に忠実な人間を評価する」というよりも「やりたいことを見つけてやってみろ」という教育方針だったので。

ー1年名古屋で働いて、2年目からは岐阜支社へ異動されたんですよね。

そうなんです。その岐阜での日々がすごく楽しくて。 名古屋は大都市なので大きな事件も多く、休日返上で働いたことも多々ありました。かたや岐阜は支社の人員が少ないため、仕事の範囲は格段に広がったけれど、地方都市でまちの規模もコンパクト。地域の皆さんとの距離もすごく近かったんですよね。

地域おこしの活動をしている人と仲良くなって「横田さん、今度こういうイベントやるから遊びに来てよ」と声をかけてもらったりもして……自然も豊かで暮らしやすいし、今思い出しても恋しいぐらいです(笑)。

「自分にもできることがあったのではないか」
転機となった、ある事件

ー充実した記者生活を送っていたなかで、ターニングポイントとなる出来事があったそうですね。一体何があったんですか?

突然のことでした。「どうやら人が路上で倒れているらしい」と連絡を受けて。そこから取材を始めたのですが、進めていくうちに、倒れていたのは地元の中学生で、自殺だったことがわかりました。

そのときに強く思いましたね。「もっと自分がその子の力になれることはなかったか」と。

もともと新聞社に入ったのも、出版社の選考に通らなかったこと以外に「記者としていろいろな人と出会い、そのなかから今後の人生の行き先を決めたい」という想いがあったから。

岐阜でさまざまな人たちと出会い、漠然とですが「子どもたちのために、家でも学校でもない第三の場所をつくりたい」という気持ちがぼんやりと芽生え始めてきている最中の出来事でした。

ー「第三の場所をつくりたい」という選択肢には、どういうプロセスで行き着いたのでしょう?

僕が通っていた中学や高校が、そういう雰囲気だったんですよね。校則らしい校則はないし、制服もない。ホームルームもなければ、職員室もない。

先生たちも「別に何か強制することはしないから、自分たちで考えて自分たちで行動しなさい」という方針で。それが当たり前だったので当時は何も感じませんでしたが、大学へ入学したり、会社で働いたりすると「あのときの経験が活きている」と感じる場面が多々あって。少なくとも「自分が何をやりたいのか」を考えて自分の居場所を見つける癖は付けられた。僕が周りの目を気にせずに古本屋やレコードショップ、純喫茶に通うようになったのも、あの学校で青春時代を過ごしたからだと思います。

だから、あまり軽々しいことは言いたくないんですが、もし、あの中学生が自分の居場所を見つけられていたら、最悪の事態だけは防げたような気がしてしまうんですよね。

事件後、学校や教育委員会から発信されたのは、謝罪と「再発防止のためにしっかり情報共有していきます」という言葉。もちろん情報共有は大事なんですが、学校だけですべてをカバーしようとすること自体無理があるように感じたんです。

「学校で嫌なことがあった」「最近なんだか上手くいかない」という気持ちを、他の場所で吐き出せることだけで、救われることも多いと思う。一方で、岐阜のような地方都市には、学校帰りにふらっと立ち寄れるような場所が少ないのも現状で。だからそういう場所を自分でつくることに、関心が向くようになったんです。

子どもたちがもっと自由に未来を決められる時代を

ー教育への関心が高まってきていたとはいえ、なぜ転職することに?

事件後、別の取材でとある高校の先生に話を聞いたときのことです。雑談のなかから「実は僕も中高生に対して機会を与えたり、居場所をつくったりするようなことに興味があるんですよね」という話をしたら、カタリバを紹介してもらいました。カタリバの代表・今村が岐阜出身ということもあり、「知り合い(今村)がやっている団体なんだけど」と。

カタリバについて調べてみると、東京都文京区でb-lab(ビーラボ)という、中高生のための施設を運営していることがわかりました。新聞記者としての仕事に一区切りを付けたいと考えていたタイミングだったこともあり、転職についてあまり迷いはありませんでしたね。

自分でも意外だったのは、カタリバへの転職を決めて志望理由を書いていたとき。自分でもびっくりするくらい、スラスラ書けたんですよね。振り返ると就職活動のときは建前ばかりを並べていたのですが、カタリバの場合は「なぜ入職したいのか」「どんなことをしたいのか」が溢れ出てきて。だから、変にウケの良い言葉を探すこともなく、「これは本当に志望しているんだな」と自分自身のなかで妙に納得しながら書き切りました。

ー今はb-labで、どういった仕事を担当しているんですか?

b-labではスタッフ全員が「ユースワーカー」として、b-labを利用している中高生と対話しながら「やりたいこと」を引き出し、子どもたちがそれを形にすることに伴走します。僕も日常的に、この役割を担っています。

また、僕自身が担っているミッションとしては、大きく分けて2つあります。

ひとつはボランティアのマネジメントです。スタッフのなかにはカタリバの職員以外にボランティアのメンバーもいるのですが、彼らのマネジメントを行なっています。b-labのボランティアとして活躍できる人の要件について考えたり、採用活動を企画したり、今後のマネジメント計画を立てたり……という仕事ですね。

新人ボランティアにb-labでの活動を説明している様子(左から2番目が横田)

もうひとつは「マナビ場」という中高生の自習サポートイベントの運営。「自習サポート」といっても、宿題などの内容を指導することがメインではなく、子どもたちの「もっと○○について知りたい」といったことに寄り添うことを意識しています。

たとえば「心理学に興味がある」という子どもには、心理学を学んでいる大学生ボランティアに来てもらって、専門的なことを教えてもらったり。他にも、学びたいテーマについて中高生同士が集まって自主勉強会を開くことのサポートをしたり、どんなことを学んでみたいのかを引き出し、学ぶ計画を立てるためのサポートを行なったりしています。

最近嬉しかったのはb-lab利用者でこの春大学生になった子が「次はボランティアで戻ってきて、マナビ場のサポートをします」と言ってくれたこと。その子は元々一人で勉強するために来館していて、他の同世代とはあまり交流せずにb-labで過ごすタイプだったのですが、中高生時代の自分自身と重なる部分もあり、意識的にコミュニケーションを取るようにしていたんです。

そうしたら少しずつマナビ場にも顔を出すようになり、他の同世代との会話も増えていって……。大学生になった今では、後輩たちの役に立ちたいと自分から申し出てくれるようになったことに、大きな感動を覚えました。

月に一回の全体ミーティングのあと、b-labのスタッフで撮った集合写真

ー最後に、今後の目標について教えてください。

「中高生目線を獲得していきたい」と考えています。b-labにやってきて半年が経ちましたが、中高生が何を考えていて、どんなことを求めているのか、まだまだ捉え切れていないなと感じる瞬間があって。

岐阜で感じた、「子どもたちのために、家でも学校でもない第三の場所をつくりたい」という気持ちは今も変わらず持っていて、いつか自分で事業を起こす際にも、中高生目線は必須だと思っています。

また最近は、カタリバの社内横断プロジェクトにも参加し、新しいことにチャレンジしています。自分の目の前に見えていることだけでなく、「今の環境で学べることは学び切る」くらいのスタンスで、引き続き取り組んでいきたいと考えています。

 

「子どもたちに対して、“今見えているものだけがすべてではない”ということを伝えたい。知らないことがまだあるはずだ、と思っているだけでワクワクするし、たとえ良くないことがあった時にも、色んな事の中の一つだと捉えることもできると思うんです」。

横田はそう結んだ。特に中高生は進路の決断が強いられるため、必然的に“見えているもの”のなかから選択肢が生まれる。しかし、実際は“見えていない”選択肢も多いし、そのなかに自分の興味関心とぴったり当てはまるものが見つかるかもしれないわけだ。

人生はもっと自由でいい。b-labに限らず、子どもたちが、自由に自分の未来を描くようになる日を願わずにはいられない。

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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