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「子どもが夢をあきらめない世の中へ」新卒でメガバンクへ就職した彼女が、カタリバを選んだわけ/NEWFACE #016

vol.209Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

tag #NEW FACE
Profile

中島 典子 Noriko Nakashima キッカケプログラム

1991年生まれ、京都育ち。バレーボールに打ち込む小~大学時代を送る。創価大学を卒業後、新卒でメガバンクに入行し、融資やM&Aなどを担当。育休期間を活用してNPOや企業でのボランティア活動に参加したことを機に、転職を決意。ITベンチャーへの転職を経て、2021年1月にカタリバに入職。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。

経済的な理由でチャレンジをあきらめてほしくないーー。

そんな想いを胸に、彼女は新卒でメガバンクへ入行した。彼女の名前は、カタリバにて「キッカケプログラム」を担当する中島典子(なかしま のりこ)。自身にも家庭の経済的な理由で夢をあきらめた過去があり、だからこそ選んだ道だった。数年にわたりメガバンクにて勤務し、転職した中島。彼女が選んだのがNPOのカタリバだった。

「本当の“豊かさ”は、お金では買えないのかもしれない」

なぜ中島は教育分野にチャレンジすることに決めたのか。彼女のターニングポイントに迫ります。

お金があれば、夢を追いかけられると思ってた

ーまず、これまでの経歴から教えてください。ファーストキャリアとして銀行を選んだのも、ご自身の家庭環境が理由にあると聞きました。

親としては苦労している姿を見せたくない気持ちは強かったと思いますが、「お金がない」という印象を感じながら生活していましたね。中学時代はずっとバレーボールに打ち込んでいたんですが、高校入試は金銭的な事情で志望校を受けられなくて。私自身子どもながらにバレーボールに本気で取り組んできた自負はあったし、これからも頑張りたいと思っていたタイミングだったので、夢をあきらめざるを得ない状況だったように覚えています。「お金がないと挑戦する機会すら得られないのか」と。

同時に、経済的に自立することの重要性も身をもって実感しました。そういう経緯があって、銀行へ入行。やりたいことがあったというよりも、「ファイナンスに関する知識を身に付けないと世の中ではやっていけない」と思って選んだ道でした。

ーどういった仕事内容を担当されていたのでしょうか?

中小企業の経営者に向けた融資担当です。毎日いろんな経営者を訪問して、相談に乗りながら、企業の成長をサポートしていました。

当時の仕事で特に印象に残っているのは、都内にある小さなチョコレート屋さんの社長です。私は新人だったんですが、すごく気さくに対応してくれて。会社のことはもちろん、プライベートなこともいろいろと話してくれて、私が結婚したときも個人的にお祝いの言葉をいただいて……「社長と融資担当」ではなく「人と人」として接してもらえて嬉しかったことをすごく覚えています。

ーそういう関係性って誰でも築けるものではないと思うのですが、中島さん自身が意識していたことってありますか?

そうですね……強いてあげるとするなら傾聴、つまり「よく聞く」ですね。新人なのでファイナンスの知識を提供しようにも社長の方が詳しいので、私には相手に話したいことを話してもらうぐらいしかできなくて(笑)。ただ、雑談によって信頼関係は生まれるし、形式ばった打ち合わせでは話さないような悩みを口にしてくれることもあるので、そこから経営課題を抽出して、解決方法を一緒に考えていくこともありました。

泥臭い仕事だったし、ものすごく忙しかったけど、仕事を通じて普通に生活していたら会えないような人に会えたし、世の中の仕組みも学べたので、ものすごく充実していましたね。

出産によって顕在化した将来への不安

ー充実していたにも関わらず、退職する決断をされた中島さん。出産が背景にあるそうですね。

融資担当からM&Aの部署へ異動して楽しく働いていたのですが、ものすごく激務で。必死に働いて、気がついたら夜中になっている日も多々ありました。妊娠がわかってからも怒涛の毎日を過ごしていたので、いつの間にか出産を迎えたような気分でしたね。

今までは必死に毎日を食らいついていきたけれど、出産を機にパッと追いかけるものがなくなり、自分自身と向き合う時間が一気に増えました。そのときに自分が銀行に復職したあとのキャリアがうまく描けなくて。自分が育児休暇を取得しているうちに、同期たちはどんどんキャリアを積み、出世していると思うと、将来にものすごく不安を感じましたね。ただ、自分の中でやりたいことが明確にあるわけではなかったので、自分を見つめ直す意味でボランティアへ参加することにしました。

ーどういったボランティアだったのでしょう?

参加していたボランティアは、2つあります。

1つは、育休中のママたちで運営している「育休プチMBA®」。主に育休中のママ向けの勉強会などを企画・開催している団体なのですが、復職後に職場で起こりうるケースをもとにマネジメント思考を学ぶ勉強会やコミュニティ運営などを担当していました。

もう1つは、ベンチャー企業でのボランティアです。こちらもワーキングマザー支援をしているところなのですが、毎月のイベント開催や提携先の開拓、あとは細かな雑務などを担当していました。

ー育休中とはいえ、育児しながらボランティアするのは大変そうですね……!

そうですね。子どもが昼寝したタイミングに作業したり、ときには子どもを膝に乗せてオンラインミーティングしたりしたこともありました(笑)。

ーボランティアを通じて、何か心境の変化はありましたか?

覚悟は決まった感覚はありましたね。

銀行を退職することは決めていたものの、まだ踏み切れていなかったんです。というのも、心のどこかに「もっと力を身につけてから」という気持ちがあって決断できないでいた。でも、ボランティアに参加して、やりたいことをやりたいときにどんどんチャレンジしているみなさんの姿を目の当たりにして「決断に必要なのは、能力ではないのかもしれない」と実感しました。それが退職の決め手です。

夢を追いかけるためには、お金よりも大切なことがあった

ーそして復職から1年後に、退職されたんですよね。退職のタイミングですでに「やりたいこと」は固まっていたのでしょうか?

それができていなかったんです。だから、銀行を退職後に知り合いに紹介してもらったITベンチャーへ転職しました。「まだ方向性は決まっていないけれど、銀行にいるべきではないと思っている。方向性を決めるために、ベンチャーで視野を広げたい」というわがままを聞き入れてくれて「とりあえず、おいでよ」と……感謝で胸がいっぱいになりました。

ーめちゃくちゃ器の大きい会社ですね。どういった業務を担当していたのですか?

小さい会社だったので、なんでもやりましたね。M&Aの支援やエンジニア派遣、自社サービスの開発など幅広く手がけている会社だったのですが、私自身もM&Aの仲介や営業まわりのサポート、人事総務までやっていました。

ーいかにしてキャリアの方向性は定まったのでしょうか?

まずは、会社の事業にさまざまな角度から携わるなかで、株式会社だとどうしても利益を追求しなければならないことを実感したことは大きいです。子どもの頃から人が夢を持ち続けらえる社会をつくっていきたいと思っていた部分はあったのですが、ビジネスだと解決できない部分でもあって、すごくモヤモヤを感じるようになっていました。

そんなときコロナ禍になりました。私には15歳年下の弟がいるのですが、自分のように経済的な理由で夢をあきらめてほしくなかったので、私なりに支援はしてきていたんです。ところがステイホームになって家にひとりでいる期間が2〜3ヶ月も続くと、弟が今まで頑張ってきたことへの意欲を失い、大好きで打ち込んできた野球も休みがちになってしまったんです。

それまでは「経済的な豊かさこそがチャレンジするためには必要」と思っていましたが、沈みがちになっている彼の様子をみていると疑問を抱くようになって。「もしかしたらお金はそんなに関係なくて、寄り添うことの方が大事なんじゃないか」と思うようになったんです。その瞬間「あ、自分がやるべきは“教育”だ」と方向性が決まりました。

ー教育に携われる場所は、一般企業含めいくつもありますが、なぜカタリバを?

きっかけは、知り合いに教えてもらったことです。漠然と「教育に携わってみたい」と話したときに「じゃあカタリバは?」と。名前は聞いたことはありましたが、自分の価値観が定まったタイミングで知り合いに教えてもらったことは直感的にグッときました。

特に惹かれたのは「伴走」という考え方です。何かを教えたり、サービスを届けたりすることも「教育」ですが、カタリバの場合は泥臭くひとりに寄り添い、その子の成長や夢に向かって一緒に歩んでいくことを重要視している気がして。私自身弟との関わりの中で彼に寄り添って伴走している感覚があったし、選考でいろいろな職員と話したときに自分の価値観に似ているような気がしたので、カタリバを選びました。

経済的に困難を抱えている家庭に、教育の光を

ー全くの畑違いの分野からの入職です。どのあたりが期待されているポイントだと感じていますか?

正直、自分が役に立てるのか分からなかったので、不安な気持ちは強かったです。でも、「内定をもらえたということはきっと役に立てることがあるはず」と前向きに捉えて。関わっていく中で、自分にできることを積み重ねていくことにしました。

ただ、最終面接で代表の今村に言われて印象的だったことがあります。銀行時代の印象深い経験を聞かれたときに「経営者は朝令暮改なことも多いので最初はすごく振り回されていたけれど、経営者が当初定めていた目的を見失わないよう、意思決定支援や情報の取捨選択をしていた」という話をしたときに「その考え方はすごく大事」と。あくまでも自己評価なのですが、物事から一歩引いて目的を見失わずに行動していく部分は期待してもらえている気がしています。

ーカタリバはいろいろな施策やサービスをどんどんリリースする印象があるので、目的を見失わずにプロジェクトをマネジメントしていく力が重宝されるのはすごくわかりますね。現在担当している業務について教えてください。

経済的に困難を抱えている家庭に対してオンラインの学びや伴走支援を届ける「キッカケプログラム」を担当しています。それぞれの家庭にパソコンとWi-FIを無償で提供し、オンライン面談をして学習意欲を育んだり、学習機会を提供したりするプログラムです。

キッカケプログラムの最終的なゴールは「非認知能力(※)の向上」。プログラムを通じて、勉強ができる力だけではなく、生きていく上で大切な自己肯定感やあきらめずにやりぬく力などを身につけてほしいと思っています。そのため、小さな成功体験もすごく大切にしていて、週1回オンラインでメンターと呼ばれる子どもや保護者の伴走役を担うスタッフとの面談を設けて、コミュニケーションをとるようにしています。

非認知能力…意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった、測定できない個人の特性による能力のこと。

ー中島さんはどういった役割を担っているのでしょうか?

子どもや保護者と直接関わる現場に出ることもあるのですが、基本的には事業の運営全般です。キッカケプログラムは行政などとの連携という形ではなくカタリバ独自で企画・運営しているので、利用者を募るところからやっていて。困難を抱えている人たちは自分で声を上げづらいから、私たちからアプローチしていくようにしています。他にも広報的な役割も担っているので、相変わらずいろんなことをやっている感じです(笑)。

キッカケプログラムのスタッフとメンターの集合写真。右上が中島

ーキッカケプログラムに携わっていて楽しさを感じるのはどんなときですか?

基本的に利用者はキッカケプログラムを必要としている人たちなので、事業を通じて世の中の役に立っている手応えは感じます。また、カタリバとしては世の中で起きた課題に対して、スピード感を持って動ける点が大きな魅力ですね。個人的にも変化が多い環境の方がエキサイティングで好きですし。

逆に難しいのは、成果を実感しづらい点。銀行での仕事のように成果が数字で見えるものではないし、自分のやっていることが正しいかも分からない。そもそも正解があるものでもないので。日々モヤモヤしつつもPDCAを繰り返しながら、過ごしています。

ーありがとうございます。では最後に今後の目標について教えてください。

全国にある、キッカケプログラムがまだまだリーチできていないエリアに届けていきたいですね。現在は約320名の子どもに届けられていますが、必要としている子どもは全国にまだ何万人といるはずなので。私としては「必要としているけれどキッカケプログラムの存在を知らない」ような層に届けていくことがミッションだと思っています。そのためにもメンターの仲間たちと協力していきたいし、さらにその仲間を増やしていきたいですね。

 

コロナ禍になり、オンラインコミュニケーションが定着しつつある昨今。キッカケプログラムへのニーズは一層の高まりを見せていくだろう。しかし、サービスを提供することがこのプログラムの目的ではない。ひとりでも多くの子どもたちが、経済環境を理由に夢をあきらめることがない世の中へーー。壮大なゴールに向かって、中島は今日も歩んでいく。


 

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#01/「人生のビジョンを実現するために選んだ道」25歳の彼が国際NPOからカタリバに転職したわけ
#02/「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ
#03/「豊かな人間関係がこの社会には必要」海外留学・商社勤務を経た彼がNPOカタリバに転職したわけ
#04/「いま純粋に毎日が楽しい」27歳で大企業からカタリバに転職したわけ
#05/「正解はない。だから、おもしろい」27歳でまちづくり団体からカタリバに転職したわけ
#06/「人それぞれの良さを伸ばしたい」26歳で外資系コンサルからカタリバへ転職したわけ
#07/「生の課題に触れられる仕事」高校2年でカタリバと出会った22歳が新卒入職したわけ
#08/「助けが必要なひとたちのために」国際NGOを立ち上げた青年がカタリバを志したわけ
#09/「事業のスピード感を加速させる」採用のプロが28歳でカタリバに転職したわけ
#010/「経験を掛け合わせて、自分の価値を高める」民間企業でキャリアを重ねた彼が、カタリバを選んだわけ
#011/「自分の人生を自ら選択する勇気を授けたい」大手鉄道企業からカタリバに転職したわけ
#012/アボリジニの生活支援を経て、帰国した青年がカタリバを選んだわけ
#013/「複業で、多様な視点を身に付けたい」教育スタートアップで働く青年が、カタリバを選んだわけ
#014/「子どもたちに第三の場所をつくりたい」元新聞記者がカタリバを選んだわけ
#015/「民間と行政の間のポジションを探していた」大手メーカーでキャリアを積んだ青年がカタリバを選んだわけ


 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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