CLOSE

認定NPO法人カタリバ (認定特定非営利活動法人カタリバ)

〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3-66-3
高円寺コモンズ2F

お問い合わせ

※「KATARIBA」は 認定NPO法人カタリバの登録商標です(登録5293617)

Copyright © KATARIBA All Rights Reserved.

KATARIBA マガジン

「子どもが産まれて、世界の見え方が変わった」日本銀行で10年間勤めた彼女がNPOへ転職したわけ

vol.317Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

田上 真希 Maki Tanoue 経営管理部システムチーム マネージャー

岩手県出身。大学進学時に上京、新卒で日本銀行へ入行し国際関係システムなどに携わる。社内制度を利用しカリフォルニア大学アーバイン校への留学も経験。約10年間日本銀行でキャリアを重ね、コロナを機に育児との両立や働き方について再考し、カタリバへ転職。現在は経営管理本部のシステムチームで、主にweb関連の業務を担当している。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事の予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドをもった人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。

カタリバではさまざまなバックグラウンドを持った職員が多く活躍している。経営管理部システムチームのマネージャーを務める田上真希(たのうえ・まき)もそのひとり。

日本の中央銀行である日本銀行でキャリアをスタートした彼女は、2021年12月にカタリバへ転職。子どもの頃から責任感が強く、「世の中に貢献できるような仕事をしたい」と日本銀行で働いていた彼女だったが、結婚、そして出産を経て、仕事観に大きな変化があった。

何が彼女を変え、カタリバで働くという選択をするきっかけになったのか。

「自分の強みってなんだろう?」日本銀行で抱いた問い

──本題に入る前に、日本銀行時代の業務内容について教えてください。

新卒で配属されたのは、システム開発を担当する部署です。統計作成システムや決済システム、全行員が使用する共用システムの開発および維持管理を担当していました。

企画段階から開発後の維持管理まで、ユーザーやシステムベンダーと協力しながら案件を進めていくため、コミュニケーション力や論理的思考力が求められました。開発や運用について、要件を満たす構成をコストと世の中のトレンドの両面から検討し、最適解を導き出すプロセスに面白みを感じていました。

また、同じシステムを担当し続けるというよりも、状況に合わせて繁忙度の高いプロジェクトへアサインされていたので、幅広く経験を積むことができました。

──日本銀行という組織で20代の若手がチャレンジする仕事としては、専門性が高い印象を受けますがいかがでしょうか。

ネガティブな気持ちになることはなかったですね。ただ、確かに周りには大学院卒の即戦力となるような同期もいて、「自分の強みってなんだろう?」と思ったことはありました。

でも、何事にも理由や背景があるという点を意識しながら仕事をしていくことで、少しずつ自信をもてるようになっていきました。相手に敬意をもって話を聞くことを通し、周りとの信頼関係を築いていくなかで、相手の言葉や様子から「今こういう事情で困っていそう」「こういうことが求められている」というのが肌感覚でわかるようになったのは、自分の強みだったように思います。また、留学の機会を与えてもらったことで、レジリエンスも高められました。

上司や先輩はもちろん、同期たちも志が高く、尊敬できる同僚に囲まれていたことから、過ごしやすい環境でした。人間関係にも恵まれてましたね。

生きづらさを抱えている親や子どもたちのために

──日本銀行には長く勤める方が多いイメージがありますが、転職に至った経緯を教えてください。

約10年間勤めたのですが、私も出産と新型コロナウイルスの流行が同時期でなければ働き続けていたように思います。2人目を出産してまもなくコロナ禍になり、色々な事情が重なった結果、復職しようにも子どもを預かってもらうのが難しい状況で。前職は、業務の機密性が高いため出社が必須。朝だけベビーシッターさんにお願いするなどいろいろ検討したのですが、結局退職しました。

ただ、仕事自体は好きだったこともあり、せっかく転職するなら「前職で培われた力を子どものために活かせる場所で働きたい」と探していたところ出会ったのが、カタリバでした。

──なぜ「子どもたちのために」という志向になったのでしょうか。

やはり、出産の経験が大きく影響していますね。子どもを産んでから、世界の見え方がガラッと変わったんです。子どもにまつわる悲しいニュースも他人事として切り離せなくなって、世の中の妊婦さんや子どもの存在を今まで以上に意識するようになりました。

あとは、私自身が2人目の妊娠中に重度の悪阻になってしまって……ようやく落ち着いたと思ったら、今度は切迫早産。産後も1ヶ月ほど体調を崩してしまい、社会から断絶されたような、世の中から置いていかれているような気持ちになりました。コロナ禍という状況が、余計にそうさせていたのかもしれません。

私は自分で子どもを産むという選択をしたし、大変な状況は一過性ではありましたが、「どうにもならない生きづらさ」を常に抱えている人は実はたくさんいるのでは、と考えるようになりました。そこから、そういった人たち、とりわけ子どもたちに必要な支援を届けるお手伝いをしたいと思い、カタリバで働くことを決めました。

──田上さんにとってカタリバの惹かれたポイントはどこですか?

カタリバの取り組みで特に共感したのは、「どんな環境にいる子どもも取りこぼさない」というアプローチの姿勢です。また、スピーディに動いて課題を解決していくという仕事の進め方に興味もあり、「ぜひやってみたい」とチャレンジを決めました。

失敗は未来への投資。 “失敗” に対する恐怖心が徐々に薄れる

──入職のタイミングでは時給職だったそうですね。

ゆくゆくは正職員として働きたいと考えていましたが、まだコロナ禍だったこともあり、「せっかく転職するなら最初は仕事と育児を無理なく両立できるところから始めたい」という希望から時給職を選択しました。

ただ、当時は仕事の幅も広かったので、時間内で終わらせることに必死でしたね。子どもにも手がかかっていたので、どんなことをしていたか記憶もあまりないんです(笑)。

──どのあたりから周りが見えてくるようになりましたか?

明確な時期はないですね。いろいろなメンバーに話を聞いていくなかで点と点がつながっていって、カルチャーフィットしていけるようになりました。

──カタリバのカルチャーで印象に残っていることは何ですか?

一番驚いたのが、失敗をネガティブにとらえない雰囲気です。前職はとにかく堅確性が求められる組織だったので、関係者間で足並みを揃えて、細かく上司に報告しながら確実に進めていたのですが、カタリバは個人の意思や意見を重んじ、裁量も個人に委ねられる場面が多い。

すると当然、やってみた結果「もっとああすればよかった」という反省が生まれるのですが、組織のクレドとして「失敗は未来への投資」という言葉が掲げられているので、少し背伸びをしたチャレンジをし続けられるのは印象的でした。

──戸惑うことはなかったですか?

もちろん、ありました。最初のうちは誰かの合意がほしくて、「この連絡、この部署に出していいですか?」といった細かいこともすべて確認していたんです(笑)。

でも、日が経つにつれて「あれ?実は必要ないんじゃないか」と思ってきて。当時の上長からも「多少失敗してもいいから、やってみて」と声をかけてもらったこともあって、模索しつつも徐々にいい塩梅を見つけられるようになってきました。

多分当初は、失敗への抵抗が強かったんですよね。でも、いつの間にか失敗への不安は必要以上に抱かずに進められるようになりました。いまでは「たとえ失敗しても、リカバリーできれば大丈夫」という考えを自分の中にもつようにしています。

「特別」じゃなくても大丈夫。入職してから気づいた強み

──正職員になったタイミングを教えてください。

2023年の春からです。正職員になってからは、システムチームで外部のベンダーとやりとりしながら、Webサイトの課題解決や安定稼働に取り組んでいます。2023年10月からはマネージャーとして、マネジメントも担当するようになりました。

──仕事の難しさを感じるときはありますか?

時給職時代から感じているのですが、システムの責任範囲や役割が曖昧になっている部分に気づいたときですね。どうしてもスピード優先で突貫工事的につくってきたところが多く、整理がされていなくて聞ける人もいないので、再現性にも欠ける。時給職のときは「どうにかしなきゃ」と思いつつも着手する時間がなかったのですが、ようやく手をつけられるようになりました。これから少しずつ、必要に応じて曖昧な部分を明確にしていきたいです。

──田上さんにとって、カタリバのように全員が同じ方向を向いているような組織はやはり働きやすいのでしょうか。

難しい質問ですね。もちろん、やりやすさは感じます。ただ、カタリバには学生時代にボランティア活動をしたり、海外に長期滞在していたりといった経歴をもつメンバーが多い印象です。発信の仕方も上手で。私自身は、学生時代は勉強が本分だと思っていたタイプで、人前に出るのも得意じゃない。だから、「周りの熱量についていけないんじゃないか」みたいな不安も多少ありました。

でも、時間が経つにつれて「自分なりのやり方でアプローチしていけばいい」ということに気づいて。もし、カタリバに興味はあるのに、私のように特別な経験がないことを理由に迷っているような方がいたら、「とりあえず一歩踏み出してみてください」とお伝えしたいですね。

私自身、最初こそ不安を感じていましたが、入職後「わかりやすい文章のおかげですんなり理解できた」「何か(システム障害が)起きても田上が対応してくれているから安心感があった」と、システムに強くないメンバーからもフィードバックをもらえることで、すごく認められたような気がしました。入職してから気づく強みもあるかもしれませんからね。

──最後に今後の目標について教えてください。

マネージャーとして高い目線で物事をとらえて判断する機会が増えているのですが、メンバー全員の仕事内容や現状をすべて把握することは不可能なので、バランスの良い関わり方を模索しているところです。

業務委託で関わっているフルリモートのメンバーもいるので、みんなが心身ともに元気で働けるようにベストな形を探っていきたい。経営管理の安定が、事業の推進力につながると思っています。幸いなことに基本はリモートで子育てと両立しやすいので、組織としてはもちろん、自分自身も根っこや幹は強くありつつも柔軟に枝葉を伸ばしていきたいですね。

「相手が何を重んじているのか、考えに興味をもって話を聞くのが好きなんです」

コミュニケーションを円滑にする秘訣を聞くと、彼女はそう答えてくれた。興味をもって聞かれれば、思わず本音を口にしたくなるもの。それが、信頼関係を生んでいるのだ。

シビアに、そして柔軟に。彼女はこれからもカタリバのシステムを支えていくはずだ。

 

この連載の記事
「自分の幅を広げたい」25歳の彼女が教員からカタリバに転職したわけ
「豊かな人間関係がこの社会には必要」海外留学・商社勤務を経た彼がNPOカタリバに転職したわけ
「いま純粋に毎日が楽しい」27歳で大企業からカタリバに転職したわけ
「正解はない。だから、おもしろい」27歳でまちづくり団体からカタリバに転職したわけ
「人それぞれの良さを伸ばしたい」26歳で外資系コンサルからカタリバへ転職したわけ
「生の課題に触れられる仕事」高校2年でカタリバと出会った22歳が新卒入職したわけ
「助けが必要なひとたちのために」国際NGOを立ち上げた青年がカタリバを志したわけ
「事業のスピード感を加速させる」採用のプロが28歳でカタリバに転職したわけ
「自分の人生を自ら選択する勇気を授けたい」大手鉄道企業からカタリバに転職したわけ
「経験を掛け合わせて、自分の価値を高める」民間企業でキャリアを重ねた彼が、カタリバを選んだわけ
アボリジニの生活支援を経て、帰国した青年がカタリバを選んだわけ
「複業で、多様な視点を身に付けたい」教育スタートアップで働く青年が、カタリバを選んだわけ
「子どもたちに第三の場所をつくりたい」元新聞記者がカタリバを選んだわけ
「民間と行政の間のポジションを探していた」大手メーカーでキャリアを積んだ青年がカタリバを選んだわけ
「子どもが夢をあきらめない世の中へ」新卒でメガバンクへ就職した彼女が、カタリバを選んだわけ
若者の政治参加を推進する団体を立ち上げた彼女が、カタリバに新卒入社したわけ
「母の背中を押せたように、子どもたちの人生の選択を後押ししたい」複数業界を渡り歩いた彼女が、カタリバを選んだわけ
会社史上最年少のマネージャーからNPO職員へ。教育へ向き合う覚悟を決めた彼女が、カタリバを選んだわけ
「NPOにこそ、データサイエンティストが必要だ」若手研究者が、カタリバを選んだわけ
「経験を積んでもう一度子どもたちの力に」インターンを経て、再びカタリバを選んだわけ
「社会課題をチームで解決していくために」教育系NPOへ転職した元・広告営業の想い
オリエンタルランドからNPOへ。人事として新たな挑戦のステージにカタリバを選んだわけ


 

カタリバで働くことに関心のある方はぜひ採用ページをご覧ください

採用ページはこちら

Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

このライターが書いた記事をもっと読む